correspondence: 鈴木宏平 11

2012年 09月 3日   /   correspondence
鳥取の海で

To: 鈴木宏平
From: 小川直人

8月も末というのに、仙台ではまだ猛暑という言葉がふさわしい暑さが続いています。仙台は比較的すごしやすい気候とはいえ、僕は暑いのが苦手で連日バテ気味です。暑さに耐えられず、ここしばらく長くしていた髪も切ってしまいました。
さて、この往復書簡も11回目。全12回を予定していますから、僕からの質問は今回と最終回を残すのみとなりました。最終回は少し趣を変えたいと思っています(先日話したあれです。これを読んでいるみなさんには来月お伝えします)。すると、こんなかたちで質問するのは実質これが最後かと。
というわけで最後かもしれない質問です。鈴木さんは、西粟倉村でのくらしの終わりを考えていますか。たとえば、あと何年たったら引っ越ししようとか、農業の基本を学んだら仙台に戻ってこようとか。そんなこと考えていないかもしれません。もし考えていたとして、引っ越しを決めた当初と今では変わっているかもしれません。だいたいにして、誰と約束するというものでもないでしょう。
何かをはじめるとき、終わりのことを考えるのが常に正しいことなのかどうかという疑問はありますが、終わりを想像してみることは、今を見つめる視座にはなると僕は思うのです。


To: 小川直人
From: 鈴木宏平

南西に向いた我が家の食卓の窓からは谷向かいの尾根とその先に広がる空が見えます。その窓側が次男の席なので、食事時には息子にご飯を食べさせながらよく景色を眺めています。
2年前に他界した祖父がまだ現役の頃、畑仕事を手伝っているとよく空を見上げていたのを思い出します。
「こうちゃん、そろそろ雨が降るね」
「そろそろ一服にしようか」
「お昼ご飯だから家に帰ろうか」
天候と土を相手にする農業を生業とした祖父は、時計など持たずに空と空気と自分の体を見つめながら黙々と仕事をこなしていました。そうした祖父への憧れからか、夕食のとき空の明るさを見て時刻を言い当てるのが僕の密かな楽しみですが、ここ最近の日没の早さに夏の終わりを感じずにはいられません。日中はまだ暑さを感じても、日が暮れれば早くも秋の気配、コオロギ達がカエルの座を奪い庭で大合唱を始めました。これまで寝るときも全て網戸で解放していた窓も、肌寒さから夜は閉めるようになり薄手のタオルケットが必要な季節です。
ここ西粟倉では早くも稲刈りが始まりました。実家の田んぼでは毎年9/20前後と相場が決まっていましたが、、8月末にコンバインが村内を駆けている風景はそれだけ西の地に越してきたんだなと実感させられます。
それにしても、あの稲刈りの季節の空気は何と心地いいのでしょう。涼しくなった風にはもう夏場の蒸れるような湿度はなく、かといって冬の乾いた空気でもなく、刈り取った稲と露になった湿った土の混じり合った香りを運んでくれます。小さな頃から稲刈りは家族総出の行事で、まだ自然乾燥をしていた頃は刈り取った稲を畦に建てた木の杭に掛けていく作業が子どもたちの担当でした。束になった稲を両手で抱えたその量感や稲に負けてひりひりと痛む肌、手伝いを忘れて追いかけ回したカマキリやイナゴ。種籾から約半年掛けて育てた稲が米となって収穫出来る歓び。そして初めて食卓に出た新米のおいしさ。
この村の稲刈りの風景が、子どもの頃からの懐かしい思い出を呼び、そしてその全てが今は失われてしまっている悲しさをもたらしました。僕はいつ仙台に帰るのだろうか。

1年で子どもは大きく成長した

それにしても、今年は存分に夏を満喫しました。東京にいた頃は毎年お盆前後を長めに仙台に帰省していましたが、それがなかった分、夏休み中の長男を連れて毎週鳥取の海へ通い、人の少ない(東京はもちろん、仙台の海よりも断然に海水浴客は少ない)浜辺で遊び、釣りをするのが週末の務めのようでした。お盆前には長男の幼稚園からの友達が東京から一人飛行機に乗って我が家に遊びに来てくれて、海へ川へと連れ回したのですが、子どもたちはそれはもう楽しくてしょうがないといった状態で、谷中に笑い声を響かせていました。
そんな二人を見ていると、子ども時代の友人関係というのはいつまで続くのだろうかと考えてしまいます。自分の交友録を振り返ってみれば、友人関係というのは常に更新されていって、大学時代で一旦ピークを迎えるような気がします。小学校時代の友人と会うのはたまの同窓会程度。社会人となってからはなかなか「友達」と素直に言える関係を築くのが難しい(共に過ごす時間の長さか、利害関係を考えてしまう後ろめたさか)。とはいえ、いまだに連絡を取り合い、仙台に帰れば必ず会う友人もいて、互いの近況を語り合うこともしばしばあります。大人になってからも続く友人関係とは、お互いが何かしらの魅力を感じる相手だからこそ続くものなのでしょう。
楽しそうにはしゃいでいる二人を見ていて、その関係がずっと続いていくのか、いつか連絡も取らない過去の人となるのか、結局は二人の関係であり親はただ見守るしかないのですね(と思っても、どうせなら末永く付き合いが続けばいいのに期待してしまうのですが)。

この往復書簡を始めて今回で11回、最終回は特別編ということで、実質の最後の返信となります。
一回目はまだ僕は引っ越し前の準備段階でしたね。多くの不安と少しの期待、そして東京から離れる安堵を胸にこの書簡を書き始めました。8月20日をもって我が家の西粟倉での生活が一年を迎えましたが、この村での生活の終わりはまだ決めていないのが正直なところです。
それでもひとつの目安となるのが長男の高校進学のタイミングです。子育ての時期を田舎で(仙台の実家で)過したいと夫婦共通の想いだったので、現状は予定は変われど理想の状況に近いと言えます。ですが、今度は田舎ならでは問題として高校以降の進学先が遠く、選択肢が少ないという現実もあります。何も高校進学や大学進学が全てじゃないという考えもありますが、それも含めて選択肢を提供するのが親の務めである以上、選べない状況に置きたくはない。ならばどうするか。

農業に関してはいくら農家の育ちといえど全くの素人で、今年がまさに一年生の年でした。春先から少しずつ土を耕し種を蒔き夏野菜の収穫となりましたが、結果はやはり散々でした。立派に育ってくれたのはささぎ・インゲン・キュウリ・カボチャ・ゴーヤとハーブ達。今朝も大きくなり過ぎたキュウリを収穫しながら、一粒の種からこんなにも実をつける野菜の底力に感心しつつ、その料理法に頭を悩ませる日々が続いています。植物達は人間の都合を考えもせず、ただ生きて子孫を残すことに真っ直ぐなんですね。
まずは野菜からと始めたこの道は、なかなかに時間が掛かりそうです。

夏の野菜は毎日が収穫期

そして、この村に来て変わったこと。大学時代にテキスタイルを学んだパートナーは、学生結婚をしたときからこれまでの8年間を二人の子育てに費やしてきました。いつかまた『自分で染めた糸で布を織る』という夢は、この村に来たことで漸く花開こうとしています。草木染めの原料となる杉や檜を筆頭に多くの植物が村内の山に生えています。源流の村といわれるように、豊富な山水があり身近な材料でものづくりを始める土壌がここにはありました。
8月は毎週講師として山向こうの地域で草木染めのワークショップに呼ばれ、改めて手仕事の魅力に没頭しています。生きていくためにはお金を稼がなくてはなりませんが、その方法は選択できるはずです。暮らしの中でのものづくり。その先にある、目的としたお金ではなく交換手段の結果としてのお金を得る。その理想の実現のため、草木染めのものづくりを始めました。そうなると、余計にこの村への魅力を感じ、ここでやりたいことが増えてきたので、ますますいつまで住むかという問いには答えられなくなってしまいます。
明確な終わりを決めずに始まったこの生活ですが、日々を積み重ねていった先に、いつかまた区切りが見えて来るような気がしています。

これからの鈴木家の主役