To: 鈴木宏平
From: 小川直人
前回の手紙を読んでふと素朴な疑問がわきました。鈴木さんは村の外にどれくらい出ているのでしょう? この往復書簡の目的は鈴木さん一家の村での暮らしを聞くということなので、あまり気にしていませんでした(以前仙台に戻ってきてお会いしたときも、ひとしきりビールを飲んで盛り上がっただけでしたし)。
田舎暮らしをしながら東京など大都市のクライアントと仕事をするという生活は、ようやく発見された本質のようでもあるし、相変わらず流行のようでもあり、僕にはまだ評価がさだまらないところです。でも、そういう生活の仕方が選択できるようになったということは良いことだなと思っています。仕事というよりは会社の都合によって、個人の価値観というよりは広告の操作によって生活すべてが決まるよりはずっと良い。なんだかいじめられている子に「学校だけがすべてじゃない」と言っているみたいですが。
話が少しそれました。あらためて今回の質問にしてみると、つまりは生活圏の変化についてです。いろいろなレイヤーが重なり合って日々の暮らしが成り立っていると思いますが、そのレイヤーは数が増えたり、遠くのものがあったりしますか? このlogueでも当初から考えていることで、自分たちが暮らす場所と仕事をする場所や相手の選択肢を拡げることができるようになるのが、いまのテクノロジーやシステムの利点のひとつではないかと思います。こうしてやりとしていることも、鈴木さんと僕にとってはあらたに増えたレイヤーですね。
ところで、今回の質問とは文字通り次元が違う話ですが、レイヤーというのは空間的なものだけではなくて、時間的なものもあるだろうとはよく考えます。歴史と言っても良いし、世代と言っても良いのですが、いま自分がやっていることが、どの未来の誰に向けてなのか見えているかどうかは、仕事や生き方に影響があるはずだろうと思います。でも、大人になって仕事をしているとびっくりするくらいそんな話は出ないものだなと思いました。単にむやみやたらに青臭い議論をしていた学生時代と比較しているだけかもしれません。それは過去や未来について無自覚である批判ではなく、日々を生きるというのは本来その通り日々を生きればよいもので、時々思い出したり思いを馳せてみるくらいがちょうど人間には合っているのではないか、とも思えるようになったからでもあります。
To: 小川直人
From: 鈴木宏平
7月の中盤から今日にいたるまで、こちらは夏の日差しが日々照りつけています。「晴れの国 岡山」とはここ岡山県の標語ですが、東の端に位置する西粟倉村も毎日よく晴れています。それでも昼過ぎには日課のように通り雨がザッと降る。いつも決まって北側県境の山向こうから黒々とした雷雲が流れて来るので、急いで洗濯物を取り込む余裕もある。ついでに畑に水やりもしてくれるので大人にとっては付き合いやすい雨ですが、小学生の息子にとっては丁度学校のプール解放の時間にあたるため、ほとんど中止ばかりだと不満を漏らしています。
息子が夏休みに入ってからは平日の朝ラジオ体操に一緒に参加することになりました。僕が小学生だった頃も眠い目をこすりながら近くの集会所に通ったものです(その頃と同じく、いまだに寝坊してしまうため参加の証明判子を全部揃える目標は早くも断念しました)。集会所に向かう道すがら、普段車で通るところでも自転車の速度で進むと景色が違って見えるからおもしろい。稲穂も随分と膨らみ収穫の日が近づいてきているのを実感します。道沿いの川を眺めては、オオサンショウウオ(この村には天然記念物のオオサンショウウオがいるらしい)や魚がいないか探しているものの、いまだその姿を見ることはかないませんが、朝日を前にして坂道を下るのはそれだけで心地良いものです。自転車は移動距離と景色、ちょっとした運動という一挙三得な移動手段ですね。
生活圏の変化について。
僕をのぞく家族が西粟倉村に越してきて、8月でもうすぐ1年になろうとしています。
自分の生活圏をあらためて考えてみると、「点が増えた」というのが正直な感覚のように思います。日本地図を拡げ、自分にとって関わりのある土地は?と問われれば、迷わず仙台・東京・西粟倉をマークすることでしょう。
仙台:生まれ育った街 最近ご無沙汰
東京:仕事の街 たまに訪れる
西粟倉:今住む場所 暮らしの中心
と付箋に書き込むように。
その作業を続けると、岩手・兵庫・香川・鳥取も今の生活では要付箋。そこから各都市名でマークした場所の解像度を上げていき、その場所の景色やそこにいる人(仕事なら担当者、お店なら販売員、そして友人たち)にまで細分化する。今度はその点から関連する場所と人をマークしていくことで点の密度が上がり、その集合がある一定まで達したときに面と捉えられるように思います。そうすると、現状は越してきてから増えたのはまだ面を形成する前の点であり、これからその点たちが面を作っていく予感といったところです。
そして、時間的なレイヤーといえば、やはりこれまでの生活では無自覚に生きてきたように思います。日々生きることに盲目的であり、むしろその状態を自分の思考停止の隠れ蓑にする。目の前に積まれたタスクをこなすことで日々の生活を実感し、たまに描く夢想は「いつの日か……」と夢想のまま。そんな生活を続けていました。
今もってその状態を続けている面もありますが、越してきたことで変わったと思うところもあります。生活圏を変えたことで暮らし方(仕事を含む)への意識は高まり、まず自分たちはどのように生きていきたいのか、子どもたちに親としてどんな生き方を見せたいのか、そしてどんな大人になって生きていってほしいのかがテーマとなっています。そのために『仕事(=お金の稼ぎ方)』を考えていくと、これからの将来に向けて作り手としてのあり方(誰に、何に、どんな影響がある上でものづくりをするのか)を一つずつ整理している段階です。
無自覚への批判からではなく、自分が行動するために必然的な思考。デジタルデータではなく、物理的な物を扱うからこそ自分なりのぶれない芯を立てる作業となっています。
さて、田舎で暮らすことにも多少は慣れてきたので、ある程度の行動範囲(パターン)が作られてきました。
日々の買い物では、米は村内の道の駅。野菜はご近所さんから旬のもの(最近はじゃがいも・ピーマン・きゅうり等の夏野菜を毎日どう調理するかで我が家の女性陣が奮闘中。たまに僕も参戦しますが)をいただくことも多く、それ以外の野菜は兵庫県にあるスーパーで買うか宅配で注文するか。魚はすべて鳥取港併設の市場にて。肉は隣町の肉屋でたまに買う程度。調味料は相変わらずネットで購入。それ以外の生活雑貨や消耗品はネットか隣町のホームセンターか。「田舎暮らしは買い物が不便では?」という質問をよく受けますが、あまり不便という実感はありません。車移動に慣れてしまったせいでしょうが、距離に対する感覚は東京時代とは随分変わったと思いますし(東京での30km移動は何と遠かったことか!)、そもそも物を買うときにネット通販はよく利用していたので田舎暮らしでもあまり変化はありません。欲しいと思う物こそスーパーでは取り扱っていなかったのは東京も変わらずですね。それでも本屋が遠くの質が落ちるのはやはり残念な点です。気軽に入った書店で一冊の本に出会うということはなくなりました。
娯楽の面では最近は小学生の息子ともっぱら鳥取の海に釣りに出かけています。日の出前の暗いうちに出発したり、夕方から夜にかけて粘ってみたりと連れ回していますが、パートナーには目の前に川があるのだから川で魚を捕ってこい!と叱られながらも通っています。先日は村の友人一家とやはり鳥取の海に海水浴に出かけてきましたが、東京や仙台と比べても驚く程人が数なく、その分だけ子連れでものんびりと楽しんできました。
テレビはもともと無い生活を続けていたので変わりなく、たまに観ていた映画はもっぱらネットレンタルでDVDを借りて見る程度で満足できています。娯楽の面で少々物足りないのがお酒を飲みに行けない、飲みながらの会話がなかなかできないことでしょうか。村内などで新たに出会えた友人とはやはり酒を飲み、じっくりと腰を据えて話してみたいものですし、その会話自体が自分の頭の中にある思考を言語化するトレーニングにもなり、思わぬ発想を生み出す機会にも恵まれます。それがなかなかできない。村内にお店はあっても車の距離で、頑張って自転車でいくと今度は夜間の鹿と熊に遭遇注意となります(大袈裟な話ではなく近所で熊が出没します。鹿は逃げていくが熊はさすがに恐い)。そもそも夜道は街灯も少なく出歩く環境ではないので夜間外出することはあまりなく、その分きれいな星空が残っている土地でもあります。
そして仕事はこれまで通り東京を中心に、岩手・香川・岡山のクライアントと継続してやり取りを続けています。こちらに越してきてから、少しずつですが西日本のクライアントも増えてきたことはありがたいことですが、仕事の進め方は実は相手が東京でも地方でも変わらないのが特筆すべき点かもしれません。
要所要所では出張して打ち合わせることもありますが、それ以外のやり取りは電話・メール・スカイプで行う。そうすると相手が東京でも地方でも進行中の状態では物理的な距離が障害にならなくなってきている。しかし、これは継続しているクライアント案件の場合に限られるようにも思います。新たな取引先や案件を開拓する上では、物理的な距離はまだまだ重要な要因であり、完成品を売る商売ではなく、成果物を一緒に作り上げていく仕事だからこそ、まず初めの信用関係を結ぶ段階では近い方がいいと漠然と思われるような気がします。そのため、僕にとっての仕事の点は西日本に増える(増やしていく)ことになるでしょう。
ノマドワークという働き方が認知されてきています。僕自身も村内ノマドと称して、たまに村内企業の一室(廃校を利用したオフィスなので先日は旧図書室)を借りて仕事をすることもありますが、固定したオフィスを持たずに働くのであれば、本来住む場所も大都市圏内である必要もないのではと拡大解釈してしまいます。住環境の志向性は人それぞれなので一概には言えませんが、少なくともノマドワークが可能な職種であれば日本中に数多くある空き家に移り住んでみてはいかがでしょうか。
生活圏を変えることは確かにエネルギーのいることで、田舎ではなおさら既存のコミュニティとの付き合い方が求められますが、その分だけ新たな発見や出会いが残された暮らしを豊かにしてくれるというのが、山村生活もうすぐ1年目の実感です。
先日も鳥取で素敵な出会いがありました。駅から少し離れたそのお店は、東京からIターンの娘さんが店主でお母さんがお手伝いをする小さな食堂です。素朴な店内で昼食のメニューは4つだけ。一家で出かけていたので皆でのばらばらの料理を注文しましたが、そのどれもがおいしい。一つひとつの料理が丁寧に作られた味がする。思わずお店の方に話しかけてみれば、偶然にも共通の友人が村内にいることが判明。こうしたやり取りも含め、料理の味は素材がいいのかもしれませんが、何より作り手の実直な姿勢を感じるものでした。
生活圏が変わるということは、白地図にどんどん付箋を貼付けていって自分だけの地図を作ることのようです。
この食堂のようなアタリもあればハズレもある。古い付箋(以前の生活圏の箇所)は剥がれやすくなるけれど、それ以上に新しい付箋を足していく楽しさがあります。