correspondence: 鈴木宏平 09

2012年 07月 10日   /   correspondence
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From: 小川直人

To: 鈴木宏平

 

先日、山形にある東北芸術工科大学のギャラリーで石川直樹さんの写真展「異人 the strangers」を見てきました。写真に疎い僕でも知っている有名な人ですが、作家に惹かれたというよりも、各地での来訪神を迎える祭を撮ったというところにつられて。メンバーが集まると数回に1回は奇祭の話で盛り上がるというくらいlogueではポピュラーな話題なのです。

奇妙なかぶりものをまとった人々の写真を見ながら、こういうよくわからない祭が続いている土地があるというのは不思議なものだなとあらためて考えていました。根拠がよくわからないが続いていることそのものは身の回りにもさまざまあり、大抵は惰性や悪習という感じがしますが(責任の所在がわからない社会という意味で)、顔を想像することもできない世代から受け継がれ、もはや雨乞いや豊作祈願ということもないだろうに、しかし、そこに写っている人たちの高揚感が伝わってくると、この力はなんだろうかと思います。自分が知り得ない時間の尺度に体を動かされることの何かなのでしょうか。

西粟倉村での暮らしには、そんなお祭りや風習はありますか(別に奇祭でなくともかまいません)。あるいは、鈴木家にとってはじめてになる慣習はあるでしょうか。

 


From: 鈴木宏平

To: 小川直人

 

一週間程滞在していた東京から戻ってからは連日の雨模様で、身も心もじっとりと湿っぽくなってしまったようです。まさに日本の梅雨空。外を見れば我が家の畑までもが雨水で冠水し、予想以上の水はけの悪さに焦りも感じつつ、家の中では乾き切らない洗濯物で部屋中の鴨居を占拠する有様で(子どもが3人もいるとそれだけ洗濯物の量は甚大)、室内は暗く気持ちもぐったりと重くなってしまいました。
それでも救いなのは『暑くない』ことでしょうか。毎朝日課となっている息子を保育園に送る道にある温度計は20℃前後、雨が降っていれば薄い長袖を羽織ると丁度いい気温で、寝起きは少し肌寒いくらい。日中も大して気温が上がることはありません。おかげで蒸し風呂のような状況は避けられていましたが、やはり心の内側にまでカビが生えて来るような倦怠感が溜まっていく日々でした。

しかし、この暗鬱な日々から脱した昨日今日の陽気! 朝の日差しから世界が違って見えます。東を向いた窓から差す光は障子越しにも朝の到来を伝え、食卓から臨む景色も朝露が輝きその日一日を祝福しているかのよう。そんな日は朝から外の物干竿に洗濯物を並べ、ついでに布団まで干してしまいます。
畑の野菜たちも十分過ぎるほど蓄えられた土中の水を思い切り吸い上げて、精一杯伸びようと葉を太陽に向かって拡げているようで、こちらも負けじと朝から元気に動き回っています。
これだけ気候に左右されるとは我ながら単純ですね。
それでも、青い空の背景に、緑の山の稜線とその上に続く白い雲の単純な構図は、まさに絵に描いたような夏の空。昼間はもう蝉が鳴き始め、夕暮れ時のヒグラシの鳴き声に聞き入っています。
夏休みを間近に控える息子に敵わないまでも、親父の僕までもワクワクする季節です。

友人宅で昼寝する次男。夏は汗だくとなる

さて、東北仙台で生まれ育った人間が、この中国地方の山村に来てめずらしく(一般的なめずらしさというよりは、僕自身がこれまで経験していなかったという意味で)感じたモノ・コトは今のところ下記。

(1)引っ越し挨拶の手拭い
(2)なにごともまずは区長から
(3)地区毎のお祭り
(4)各戸にある屋号

(1)——引っ越しといえば『引っ越し蕎麦』がありますが、それはあくまで引っ越してきた側の食事の話で、やはり近隣住民に挨拶に伺う際には何かしらを手土産に持参します。これまでの仙台から東京や東京内での引っ越しのときは菓子折と相場が決まっていましたが、こちら西粟倉では『手拭い』を持って挨拶まわりをするとのこと。我が家はその習わしに気付かずに準備していませんでしたが、越して随分月日が経ってからそんな慣習があることを教わりました。
隣のおじいちゃんがまだ小さかった頃、貧しい時代に最も汎用性が優れ、農作業や日常生活に使われる『手拭い』が実用を兼ねたギフトとして贈られたのが、今も続いている慣習とのことです。

(2)——仙台にいた頃はまだ子どもでしたし、東京ではその存在も感じられなかった自治会(賃貸物件だったため。分譲マンションでは自治会がありますね)。山村生活ではなかなかに強い結束力が求められます。区長を始め役員は任期2年として直接選挙で選ばれ、その代表が村行政と時には連携し、時には物申す役割を担います。そのためこの地区に関わるようなことはまず区長さんに相談するところから始めなければなりません。空き家を探していたとき、そのルールを知らずご近所さんに声を掛けていましたが、第三者から「区長さんにまず話をしないさい」とご指摘をいただきました。
地区内での連絡を統一・簡素化するために築かれたトップダウンシステムですが、地区内の行事に対する連絡は村内全戸に設置された村内放送(光回線を使ったデジタル端末)を駆使するところは、田舎(人口が少ない)だからこそ可能にする意外な技術革新でもあります。

(3)——先日、地区にある岩滝神社で夏祭があり一家で参加してきました。前日に神社のまわりを地区のみなさんで掃除するところから始まり、子どもたちと一緒に草取りやほうきがけをします。当日は祭といっても昼前に神社に集合し神主さんのお祓いを受け、その後はお神酒を嗜む程度ののものでした。こうしたお祭りが年に3回程あるとのことです。小川さんが写真展で見たようなめずらしい面や踊りを繰り広げるようなものではなく、一般的にもめずらしいお祭りというものではないのでしょう。それでも仙台の実家で暮らしていた頃からあまり神社との付き合いはなかったので、そうしたお祭りに参加するのもなかなかの好奇心をくすぐられるものでした。
昔、車も娯楽もなかった頃はこのお祭りが本当に楽しみで、境内への道すがら出店が立つのが嬉しかったと隣のおじいちゃんは遠い目をして語っていました。同じ村内でも地区毎に祭の日程がずれているので、村内をハシゴして酒を飲み歩く輩もいたそうな。いつの世も祭好きはいたのですね。

(4)——屋号といえばフリーランスであれば開業届に書くもので、僕の場合はnottuoのように商売をする上での呼び名といった程度の認識でした。ところがこの地域では昔から続く屋号が今もまだ現役で使われているようです。
歴史を振り返れば江戸時代の士農工商から武士以外が苗字を認められなかったことまで遡れますが、少なくとも私の実家では屋号は聞いたことがありませんし、ましてや東京の暮らしでも「我が家の屋号は◯◯だよ」という人間に出会ったことはありませんでした。
この村では今も現役で、農作業の道具等に名前代わりの屋号が書かれています。小松、小林、春名、清水、国里……親族が近くに住んでいるため、村内には同じ苗字の家庭が多くあります(全国2位の鈴木は村で我が家だけのようです)。そうなると一般的に苗字を使うよりも屋号を使って区別するのは理にかなっているのですね。

まだ越してきてから1年に未たない状況ですが、未体験の事柄を経験していくというのはなかなかおもしろいものです。少なくても季節が一巡し、1年通した行事や気候を知ってから、今度はより深く楽しむ方法も見えて来るような気がします。
初めての山村で暮らす夏。楽しみが沢山です。

「何年かぶりにこどもが参加した!」祭