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correspondence: 鈴木宏平 08 | logue

correspondence: 鈴木宏平 08

2012年 06月 8日   /   correspondence
02-2

From:小川直人

To:鈴木宏平

 

新しい生活の疲れが出てくるころなのか、5月の連休が明けてから子どもがじわじわと風邪のような不思議な不調に見舞われ、そこから親二人にもうつり、家族全員が順番に病院に通う日々が続いていました。オフィスワークに戻ったことでより規則正しい生活になったような気がするとはいえ、昨年一年を通じた運動不足は解消しないどころか拍車がかかっているからなのかもしれません。いずれにせよ、ここで少し生活や仕事の見通しについて軌道修正をする時間をとりたいと思っているところです。

いやはや自分の見通しが甘かったと修正したいと思うことはたくさんあるのですが、そのなかでも大きなもののひとつは、会議というものの体への負担です。鈴木さんにはあまりないことかもしれない。人と打ち合わせることは昨年もしばしばあったし、家族と相談することは日々でしたが、会議という様式というか場からはしばらく離れていたのは事実で、それが連日続く生活に戻ってみると、体の中に何か重いものが溜まるのが実感されます。今まで日々多くの会議に時間を費やしてきたので、今更そんな感覚に気がつくのも変な話ですが、これはなんでしょう?少し考えてみたい。
さて、そんなもやもやとした日々を送っているところですが、今回はもやもやとしたもののひとつについて質問します。鈴木さんは今、原発や土地や食べ物の放射能の問題についてどんなことを考えていますか。これはとても問い方が難しいような気がしていて、気にはなりつつも質問するのはどうかなと思っていました。あるかないかで言ったらないほうが良いに決まっているし、3月の往復書簡にもあったとおり、鈴木さんの今を選択することにおいて少なからず影響があったことである以上、そう簡単にも答えられないだろうなとも考えています。
僕自身は、食べ物についてはある程度気をつけているという程度です。今までも野菜などは地元のものが中心だったし、お金をかければどこまでも選択できること自体の問題について少し思うところもあるので、あまり特別なことはしたくないという心情もあります。むしろ、このものすごく根の深い、さまざまなことが絡み合ったこの問題について、どう日常的な態度をとっていくか日々細々と考えている、というのが素直なところです。


From: 鈴木宏平

To: 小川直人

 

こちら山村の生活も随分と慌ただしくなってきました。といっても大袈裟なプロジェクトの進行や仕事の予定といったものではなく、もっぱら汗を流す作業でなんだか忙しくなっています。

日暮れからの蛙の大合唱は相変わらずの盛況ぶりですが、昼間の日差しは早くも夏の到来を感じさせる程になり、ソフトボールを続けている長男は早速日焼けした様子。お風呂場でいつも焼けた肌を僕の腕と並べては得意げな顔をしています。あまりにも冬の寒さが印象的だったので、春の訪れから最近の陽気に至るまでの劇的な変化は狐につままれたような気がしますが、それでもこの季節は本当に気持ちがいい。照りつける日差しで火照ったからだに吹くそよ風(『そよそよと吹く風』とはまさに言い得て妙。素敵な言葉)がこんなにも心地よいものとは。一歩日陰に入れば空気もひんやりと感じるのは、日差しは強くともあまり気温が高くない山の気候のせいでしょうか。

畑仕事はこどもも喜んで手伝う

暖かな日々に喜ぶのは人間だけでなく、庭に生えた草木もまた日差しを目一杯受け止めようと枝葉を上へ上へと生い茂らせるようになれば、今度はその手入れがなかなかの重労働となっています。庭木でいえば柚子、花梨、紅葉、柿、紅梅、馬酔木、山椒、桃、桜、月桂樹、椿、その他まだ名前も知らない木々が随分手入れをされない状態で伸びていたために、最近の週末はもっぱらその剪定と、それ以上に驚異的なスピードで伸びる雑草と笹の草刈りにいそしんでします。草刈り機は仙台の実家にもありましたが、この村に来て初めてチェンソーの使い方も教わりました。慣れないながらも庭の手入れに悪戦苦闘していると必ず近所の諸先輩方がやってきて枝打ちの箇所や剪定の仕方を教えてくれます。ちょっとずつ明るくすっきりしていく我が家の庭を見ては、みなさんもなんだか嬉しそう。聞けばまだ家主さんが住んでいた頃にみなさん手入れを手伝っていたそうで、人が住まなくなってからちょっとずつ荒れていく様子に気を揉んでいたとのこと。やはり家は人が住まないと維持できないものなのですね。

自家菜園の方も漸く少しの苗を植え、種を蒔くことから始まりました。この周辺は鹿と猪の獣害で露地栽培のときはまず柵を設けなければならないので、そのためにおあつらえ向きのビニールハウスの骨組みの中に植えたエンドウ豆と小ネギはもう収穫しはじめ、育苗ポットに蒔いた二十日大根、チンゲン菜、キュウリ、セロリ、ナス、トマト等の種がそろそろ芽を出してきました。その隣にはスパイラルハーブガーデンを見よう見まねで作り、ミント、スイートバジル、コリアンダー、セージ、カモミール、紫蘇が植えられています(ハーブ類は鹿も食べない)。
隣のおじいちゃんの畑は我が家の数倍の広さがあり、冬の間は採れた作物をいただいてばかりだったので、今度は作るところから一緒にお手伝いすることも始めました。先日も我が家と村の友人の子どもたちと一緒にトウモロコシとサツマイモの苗を植え、カボチャの棚を作るために、山に入って竹を切り出してくるようなことも経験しました。
東京で過ごした約10年間、身に纏う服装でしか季節の変化を実感できなかった己の鈍感さが際立ち、ただ暮らすというだけで季節によってこんなにもやることが多いのだと実感する日々が続いています。
フリーの身ではもともとあまり縁がない会議ですが、こちらの生活では考える以上に動かなければ(汗をかかなければ)進まないことが多いので、余計にその時間を持つことはなさそうですね。

となりおじいちゃんの畑 労働力のかわりに作物のお裾分け

さて、今回の往復書簡は「原発や土地や食べ物の放射能の問題について」というご質問に対して、どのように答えたら良いのだろうかと正直頭を悩ませていました。これは小川さんへの回答という意味だけでなく、自分の子どもに対してどのように僕の考えを伝えるのだろうという自問が多分に含まれているためです。
簡潔に言えば、僕とパートナーの判断で我が家は『福島第一原発事故の放射能汚染による健康被害への懸念から、東京より西日本へ自主避難した』状況で、『脱原発』を原発事故以降の信条とし、食べ物からの内部被爆リスクの回避はこれまで相当に気を使っています。

食べ物に関しては近所のおじいちゃんおばあちゃん方にいただくことも多く、まさに旬の野菜を一時に集中して食卓に並ぶようになりました。つい先日までは毎日ほうれん草を食べていて、腐らせる前に食べるためにはいろいろな料理にして飽きないような工夫が必要になります。昔の人は冷蔵庫もなかったから、その分保存食や郷土料理等の開発がされたのでしょうか。
もちろんそれだけでは足りない分は、村の有機農家さんや道の駅の朝一で買うこともあります。それ以外にも宅配で岡山県内や近県の有機農家さんから野菜、その他の調味料や乾物等をネットで購入することも少なくありません。
もともと原発事故以前より食べ物にはかなり気をつけていました。パートナーがアトピーだったことから、子どもが生まれて以降、農薬や化学調味料への懸念は強く、東京生活の頃から食糧は宅配で購入していました。宅配については、遠くの作物を長距離間化石燃料を使って運ぶことへの問題意識や、農薬を一概に反対することへの議論もありますが、農薬も化学調味料も使っていないに越したことはないという判断から利用していました。
また食べ物の放射能問題に関しては現在も注意を払い、子どもたちを極力内部被爆させないよう務めています。岡山へ越してきた最大の理由がその食べ物への懸念でした。東京にいた頃は極力西日本の食べ物を選ぶようにしていましたし、それはここ岡山へ越してきてからも変わりません。こう書くとまっさきに『非国民』『風評被害』といった非難を覚悟しなければなりませんが、改正された食品の放射性物質の基準値をクリアしたものが市場に流れ、店頭に並んでいるとしても、それは放射性物質が0という証明ではありません。ましてやその検査も全ての商品を検査している状況ではないため、子どもたちには食べさせたくないというのが本音です。あるいは東京の店頭でも基準値への合否ではなく、ベラルーシのように検出結果を数値として表示される棚があったのなら東京での暮らしを続けていたのか。日々の食べ物のチェック(家庭用や外食、学校給食)に対するストレスを考えれば、やはりこちらに越してきたのだろうと思います。

原発に関しては震災以前なんの知識もなく、漠然と「しょうがないのだろうな」という程度の認識でした。事故後、東京の水道水から基準値を超えたヨウ素が検出された頃から、本当に身近な問題として放射能汚染・原発に対しての情報収集を始めたように思います。その頃次男が1歳半、チェルノブイリ原発事故後の乳幼児への低線量被爆似よる健康被害の情報を知れば知る程不安は募り、特に母乳をあげているパートナーは寝る間も惜しんで情報を集めようとしていました。そうして知ることになった原発の弊害、燃料となるウラン採掘の健康被害と埋蔵量の問題、大量の冷却水放出による海の温度上昇、そして行き場のない使用済核燃料。埋められた廃棄物が無害になるまでに10万年かかるという事実、そんな死のゴミを大人たちは「発展のため」を理由に今も生み出し続け、その処分を後世の人に押し付けている事実を、子どもたちに何と伝えればいいのでしょう。
日頃ゴミをポイ捨てするなと看板まで立てて叱る大人達が、命を脅かす猛毒のゴミを平然と未来の子どもたちに押し付け、あまつさえ外に漏れ出したそのゴミを知らんぷり(福島第一原発から放出された放射性物質はその土地のものという詭弁)。
国策として「核燃料サイクル」政策を土台に進められ、政治と経済が複雑に絡み合ったこの問題。核燃料サイクルは夢のエネルギーだったのでしょう。いつの日か実現する技術なのかもしれませんが、その技術革新への道のりはあまりにリスクが高すぎる。『安全』と唱え続けたその安全性が、一度の事故でこれほどまでの広い土地を汚し、人の住めない環境としてしまう。
そんな原発とは共存できないと考えています。そのために『脱原発』。

ではこれからどうするか、これが日々頭を悩ませているところです。
エネルギー政策の転換や、自然エネルギー利用のための技術革新はおおいに推進されていくことを望んでいますが、そうした大きな視点での社会インフラの問題以前に、もっと身近な自分の生活というレベルでの変革をどのようにおこなっていくか。「生きること」を基点にしたからこその脱原発でありながら、日常生活をこれまで通りの消費生活の繰り返しにしてしまうのか。
この村に越してきてからも、「放射能からの自主避難の人間が反原発を言っておいて普通の生活を送っている」ことへの批判を度々受けていますが、その批判への反論ではなく自分たちが望む暮らしとはいかようなのかと自問しています。
『脱原発=前近代の暮らしへの回帰』とはまったく思っておりませんが、では作られる電気(エネルギー)の質を原発から自然エネルギーへ代替で済む話でもないような気がしています。

そんな中で漠然と考えているのが、消費者としての生活に生産者としての要素を足していくこと。これまで仕事で稼いだお金で買うのみだった食べ物も水もエネルギーも生活雑貨も、少しずつでも自分の手で作る(汗をかいて手に入れる)ことで、あらゆる要素が複雑に絡み過ぎている社会の中でも、片足だけでもその社会から離せるという余裕をもつことができるのではと想像しています。火と土と水で生きていることを、ちゃんと実感するということでしょうか。
水道が止まっても湧き水を汲めること、スーパーがなくとも食べる野菜と米を作れること、野山から食糧を調達できること。今の自分にまったく足りていない生きる力を身につけることが第一歩のように感じています。
現代社会を一概に否定し、完全なる自給自足の生活を望んでいるわけではなく、社会の中でシステムに依存する部分とそうでなく自活する部分の両方を持つ、つまり、生きる上での個人の判断をすべて社会という枠組みに依らずに、利用するような立ち位置が保てないか。そんなことを考えています。

草木が生い茂ってきたこの季節、パートナーの染色熱も沸きせっせと染め物を始めています。僕たちはこうしてひとつずつ理想の暮らしを形にしていこうと思います。

玉葱で染めたストール 染料の素材はまわりに生えている