correspondence: 鈴木宏平 07

2012年 05月 8日   /   correspondence
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To: 鈴木宏平

From: 小川直人

 

4月からメディアテークに復帰しています。それにあわせて子どもは保育所に行くようになりました。最初の2週間ほどは練習期間のため、お昼までの保育、そのあとは3時までとなっていたので、その間は送り迎えともに僕がやっていました(平日の妻の出勤は僕よりも早いのと、帰り時間の融通も僕のほうがきくので)。育児休暇が終わったはずなのに、どうしてお父さんしか出てこないのだろうか?もしや奥さんに逃げられたのではないか?などと保育所の人たちには思われていたかもしれませんが、相変わらず子どもは毎朝泣きもせず別れ、淡々と保育所生活に慣れているようです。でも、先日一日だけ「ほいくしょ、いかない」と言った日がありました。玄関先でしばらく話しこんだ後に無事その日も保育所には行ったのですが、その日は職場でも一日なんとなく心配ではありました。子どもは移り気だからそんなことはよくあることかもしれませんが、比較的淡々とした子どもだからこそ環境の変化にじんわりと疲れてきたのかもしれないとも思います。

たしかお子さんたちは鈴木さんに3ヶ月先んじて引っ越していたと記憶していますが、10ヶ月近くたってみて様子はどうですか? たしか2回目の手紙の写真には「こどもの適応力は強い」とコメントがついていましたから、のびのびと村の生活を楽しんでいることと思いますが、子どもの社会生活というか、いままでと子どもの数も違うでしょうし、遊びも違うのではないかと思います。親から見てどんな変化がありますか。あるいは、心配事などあるのでしょうか。

と書いてみて、そもそも子どもは日々変化をするものだろうし、その子の今は他と比較しようのない「その子の今」でしかないような気もしてきました。でも、兄弟がいるとそれぞれに適応や反応の違いが見えそうですね。

 


To: 小川直人

From: 鈴木宏平

 

5月になり、ここ西粟倉村も田植えの最盛期を迎えています。田んぼに水が入ってからは、カエルたちの大合唱が昼夜問わず谷中に響いています。その音量たるや、風情を楽しむといった生易しいものではなく、田んぼを舞台にロックフェスが開催されているような賑やかさ。彼らにとっても春は待ち遠しかったのでしょう。

仙台に比べるとだいぶ西のほうですが、田植えの時期はほぼ同じでこのゴールデンウィークが最盛期のようです。西日本といっても山間のこの村は気候が涼しいからなのでしょう。この時期田んぼに面したアスファルトの道路という道路に、トラクターから泥の落とし物が列を作ります。東京での生活では決して見られなかった光景ですが、その道の汚れ具合はとても懐かしくもあり、道の状態としてはとても自然なのではないかと思ってしまいます。(きれいな道路というのは、それだけ人の生活圏が土と乖離してしまった証明なのでは?)

子どもの頃、5月のゴールデンウィークといえばどこかに遊びに行くというよりも、家族総出で田植え作業に駆り出され泥にまみれながら田んぼで農作業を手伝って(遊んで)いました。まだ小学校低学年まではそれでも楽しんでいたようですが、高学年から中学生にもなるとサッカークラブや部活の練習など、何かと理由をつけて手伝いを回避できないかと考えていました。それこそ農作業なんて「カッコワルイ」もので、その姿を同級生に見られるのが恥ずかしいとまで思っていた気がします。

この歳になって思えば、仕事との向き合い方が何とも無責任な立場だったために恥ずかしさや面倒くささがあったのでしょう。毎年のことながら、手伝う作業内容は言われたことをただこなすのみで(苗箱の積み降ろし等の単純作業)、自分の作業が米づくり全体からみてどの位置にあるのかも分かっていませんでした。まさに手伝いを“やらされていた”状態では創意工夫もないわけで、そんな単純作業は楽しいはずもない。

大人になり、自分の責任の上で仕事をするようになって気付くものですね。

 

4月になってから長男はスポーツ少年団に入りました。親の僕は小中高とサッカーを続けていたので、できれば長男にもサッカーをやらせたかったのですが、村にはソフトボールとバレーボールしかなかったので、結局ソフトボールの練習を週3日始めています(パートナーは小学6年生の頃ソフトボールで全国大会優勝の経験があり、我が家の長きに渡る『サッカーと野球のどちらをやらせるか』論争に遂に終止符が打たれました)。

次男も保育園での生活に慣れたようで、「どうぞ」「かして」「ねんね」「ばいばい」「た!(ごちそうさまでした)」等の言葉を覚えました。集団生活をしていると知らぬ間に話す言葉が増えたり、おもちゃを使った一人遊びを覚えて帰ってきます。それに先日はロタウィルスを持ち帰ってきて、僕と長男は比較的症状は軽かったものの一家でトイレに駆け込む日々が一週間程続きました。

7歳にもなると時折大人びた表情を見せる

1歳半はまだまだあかちゃん

パートナーと子ども達が移り住んで8ヶ月とちょっとが経ちました(昨年8月20日に引っ越し)。

親の僕たちからすればあっという間の日々でしたが、子どもとってはどうだったのだろう。長男は40人3クラスの小学校から同級生11人、全校生徒60人程の学校へと転校したわけで、本人にとっても大きな生活環境の変化だったはずです。長男が2歳半のときに東京の小平市から大田区へと引っ越したときは、恐らくその変化へのストレスせいで毎夜激しく夜泣きをしていました。今回の引っ越しではさすがにもう7歳なのでそうした表立った影響はなかったようですが、学校帰りはよく「疲れた……」といってぐったりしていました。転校してから早々に授業参観があったので僕も参観しましたが、どうにも集中力が足りないような、ぼけーっと口を開けている状態だったのは、不慣れな環境・人間関係に戸惑っていたのでしょうか。

単純に比較していいのか分かりませんが、2年生になって初めての授業参観が先週行われたのでまた参観すると、授業中でも何だか楽しそうな目をしているんですね。席を立って移動する場面でも、友達とふざけ合いながら動いてるさまを見て、父としてはほっとしました(引越してきてからの参観率100%更新中です。その分まわりの父兄からは「あのお父さんは仕事してないのかしら」と疑惑の眼差しを受けているような……)。でも、自宅の近所に同世代の男の子がいないため、休日や学校帰りはかえってつまらなそうにぶつくさ文句を言う始末。やはり友達と遊んでいるのが一番楽しいのでしょう。

越してきてからの分かりやすい変化といえば、虫を触れるようになったこと。それまでは図鑑を読んで興味を持つ割には、いざ触るとなると腰が引けて触れもしなかった情けない子どもでした(そのことを「このもやし野郎!」とバカにすれば、僕に向かって「うるさいこの豆もやし!」と言い返す気概だけはあるようですが)。それがある日の帰り道、自分で捕まえてきたアカハライモリを水槽で飼うようになり、餌のミミズを捕まえてくるようになり随分と逞しくなってきたように思います。親子で好きな釣りでも、餌のアオイソメ(慣れなければかなり気持ち悪い部類でしょう)も自分で付けられ、一緒に連れて行った中学1年生の子どもに先輩面していたのがおかしい。

そうして強くなってきたと思えば、時にはとても甘えん坊の一面も見せてきます。やはり子どもは日々行きつ戻りつしながら、少しずつ大人になっていくようです。

 

飼育中のアカハライモリの『ポル』

ところで、4月の末から、我が家に東京から新しい家族が越してきました。子どもは現在3歳の暴れ盛り。急に弟が増え2人の兄になった上の子は、まだ戸惑いながらも長男の処世術を模索しているようです。下の子にとっては年が近い兄の出現で、これまで以上に子どもたち同士のケンカの声で賑やかな我が家です。これからはひとつ屋根の下、6人の大家族の生活で子ども達の成長と変化が楽しみです。