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coresspondence: 鈴木宏平 05

2012年 03月 7日   /   correspondence
子どもの成長が時間の流れを分かりやすく教えてくれる

To: 鈴木宏平
From: 小川直人

学校を卒業して以来、毎年2月というのは何となく短い気がしてます。実際短いのだけれど、数日少ないというだけではなく、新しい年がはじまる1月の高揚感と、年度末の慌ただしさがある3月の高揚感に挟まれているためなのか、じりじりとしている間に過ぎてしまう。

一方で今回の2月は子どもの語彙が語彙日々増え、育児休暇をとってからの丸一年の長さをあらためて実感してもいます。4月になって職場に復帰するまでの間に、この一年と少しの期間を振り返って作文でも書こうかと考えているところです。誰のためというより、将来の自分のために。震災のことは大きな出来事ではあるけれども、僕にとってこの1年は子育てに専念したことが何よりも大きなことなのです。おそらくそんなことをいちいち人に説明することはないし、話題として早々共有できるとも思えないので、一人で紙に向かい合ってみようかと(実際にはパソコンに向かい合いますが)。

3月11日前後には、仙台はもちろん各地でさまざまな追悼イベントがあります。育児休業中とはいえ僕も文化系の仕事のはしくれではあるので、イベントをやる/やらないの議論や、大小おこなわれるものの流れのなかにはいて、11日当日は現場の手伝いをしているはずです。それが3月11日の正しい過ごし方かどうかはわかりません。ただ、ごく個人的な思いとしては、それぞれ勝手にやる(やらない)のが良いと思っています。何かをやるかやらないか、どのようにやるかよりも、ただ他者を赦すことが追悼という意のように思われるので。

鈴木さんはどんな気持ち、あるいは予定で3月11日を迎えようとしていますか。「被災地」から距離があるということは、それだけ人や土地の空気も違うと思います。特にどんな気持ちもない、というのもありえると思います。毎日は本来それぞれその日しかないものですから、その日が来てみれば、いつも通りのかけがえのない一日であるだけかもしれません。


To: 小川直人
From: 鈴木宏平

ここ西粟倉村では雨の日が続いています。つい先日までは雪が積り霜が降りていたのに、雨が降るということはそれだけ暖かくなってきたわけで、季節に敏感な鳥の鳴き声や羽虫たちが春近しと知らせてくれます。小川のほとりに建つ我が家では、冬の張りつめるような空気の中でも常に水の流れる音が聞こえてきます。これから春になれば川のせせらぎに加えて、鳥や虫の声、冬の間閉じこもっていた人たちの声も重なってくるのでしょう(近所のおばあちゃんたちが早速散歩に出ているようで、事務所の外から井戸端会議の笑い声が聞こえてくるようになりました)。

前回の返信の後、この歳になってスポーツ選手でもないのに骨にヒビが入る怪我をしてしまいました。以前この往復書簡でも紹介した村のフットサルに参加中での怪我ですが、まだサッカー少年だった頃以来のギブスを巻いた生活もそろそろ一ヶ月になります。幸か不幸か、利き腕ではない左肘の怪我なので仕事のPC作業は続けてこられたのですが、日常生活を送るのはやはり大変で、完全な車社会の村では息子を保育園に連れて行くことすらままならない日々でした(もちろん抱っこも出来なければ、オムツを替えることも出来ないので、この一ヶ月はパートナーからの冷たい視線を受け続けるという別の忍耐力も試されました)。そのため急遽仙台の実家から母を呼び、一ヶ月間の同居生活を送ることになりました。

仙台から来た母に初孫(長男)はべったり

もうすぐ3月11日、震災から1年が経ちます。僕にとってのこの1年、月並みですが「もう1年経った」と「まだ1年前」という想いが正直なところですが、数日後の3月11日、僕はきっと家族とともに自宅で過ごすことになるでしょう。仙台から遠く離れた土地ですが、岡山を含め西日本の各地でも追悼イベントは開かれるようです(当然仙台や東北とはその規模と密度は違うでしょうが)。そのいずれにも自分が参加しないのは、決して否定や意思表示といった確たるものがあるわけではなく、自宅で家族と過ごすのが自然な選択のような気がしているからです。

もうすぐ一年というこの時期に母が岡山に来たことで久しぶりに震災直後の実家の写真を観ていました。思い出したくもない光景から、ボランティア(無名の善意)の力に支えられ、漸く日常に戻りつつある(まだまだ爪痕は残っているが)。そう話す母の顔は震災後初めて会えたときよりもずっと柔らかく、その分だけ時間が経っていると感じさせます。

僕は果たして被災者なのか、それとも震災は対岸の火事だったのか。
幸いにも実家で暮らしていた父母は無事生きていて、家屋が津波で全壊といっても住んでいた場所を失ったわけでもなく(3月から住む予定ではあったが)、職を失ったわけでもなく今こうして自分の家族とともに暮らしています。きっと被災の度合いを比較することに意味はないのでしょうが、かけがえの無い命を失った人がいて、残された人がいて、その数が数万人という規模で起きたという事実の中で、自分を「被災者」というにはに引け目を感じてしまう。
さりとて自分が生まれ育った土地が無惨に破壊されたあの光景(ヘドロの臭い、歩くことすらままならない瓦礫の山)への絶望感と怒りは決して人ごとではなかった。これから始まったであろう仙台での生活への期待も不安も、実家に田んぼと畑があることの安心感も否定(もちろん自然にはそんな意志はない。受け手の僕の感情)された失望感はやはり自分の身に起こったことなのだ。

結局自分が「被災者」か否かという区分けをすることよりも、「震災」を経て生きている自分がこれからどのように暮らして行くかを考えるべきなのでしょう。3月11日からあまりに多くの人々の人生が変わってしまったのでしょうが、僕個人の出来事としても岡山へ引っ越すという大きな転換の年となりました。1年目を迎える3月11日はどうしてもシンボリックな1日となりますが、これから2年3年、10年後と続けて「どう生きるか」を忘れずに暮らしていきたいと思います。まずは数日後の「3月11日」、家族でもう一度震災の話をしよう。

めっきり暖かくなって来たこの村での生活も、我が家も皆随分と慣れてきたようです。
先程からパートナーが上着を脱いで、鍬で畑の土を起こしているのを横目にこの返信を書いています。
もうすぐ春ですね。

いつか自分の子どもたちも