人と人の間にあるものを感じて

2009年 12月 1日   /   interview
interview 024

映像と音楽

映像と音楽、エンターテインメントとアートを軽々と越えて活動する高木正勝。2008年にプロジェクト「Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)」を発表した彼は、コンサート、CDと本、ウェブサイトに加えて、ドキュメンタリーフィルム『或る音楽』を映像ディレクター・友久陽志と作った。共同作業ともいえるこの映画の制作プロセスに触れつつ、二人のもの作りの根源について聞いた。

協力:
エピファニーワークス http://www.epiphanyworks.net/
フォーラム仙台 http://www.forum-movie.net/sendai/

高木正勝

1979年生まれ、京都在住。映像作家/音楽家。「Newsweek日本版(2009.7.8号)」で、「世界が尊敬する日本人100人」の一人に選ばれるなど、世界的な注目を集めるアーティスト。CDやDVDのリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。オリジナル作品制作だけでなく、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加、UAやYUKIのミュージック・ビデオの演出、芸術人類学研究所や理化学研究所との共同制作など、コラボレーション作品も多数。

http://www.takagimasakatsu.com

友久陽志

1976年神戸市生まれ。映像ディレクター。神戸市外国語大学在学中に自主映画の制作を始め、北京電影学院に一年間留学。2000年「春天里」、2001年「夜はパラダイスへ行く」がぴあフィルムフェスティバルにて連続入選。現在は、CM(ベネッセコーポレーション、WILLCOM、NHK、マイクロソフト他)、ミュージックビデオなどを中心に映像ディレクターとして活動している。


名産品を届けるような感じ

Q.いまの活動拠点にいる理由は

高木 逆に人はどうやって住む土地を選ぶんでしょうね。僕は引越しをしたのが、大学を辞めて京都市内の方に移動した2年間だけだけなんです。あとは子供のころに家族ごと引越しした経験があるだけ。自分の意思で外に出たのがその2年だけなんですよ。それ以外はずっと育った家にいるので、逆に何が外に出る決め手になってるんだろうと。仕事があったり、あるいは家の契約とか。その輪に一歩入らなければ、逆に移動する理由が見つからない。たとえば、東京でもここ仙台でもそうですけど、1日以内で移動できるじゃないですか。だから、何かあった時に移動すればいいかと。

だいたいみんな東京に行くでしょ。東京に行って、また違うことがもちろん起こるけども、そこまでそれを求めているかなあと思う。東京駅に行くと「そうだ京都へ行こう」というキャンペーンをずっとやっています。 僕は東京に住んだことないから分かんないですが、 つまり、休暇の時に地方に行かれますよね。あとはちょっとした仕事があったりとか。だったら、休暇を逆にしてしまってもいいじゃないか。毎日休暇で、週に一度休むようなタイミングで、仕事をしても別に問題ないかなと。老後の楽しみを今味わっているような。

友久 僕は、仕事をはじめるタイミングで東京に出てきちゃったんです。特に東京へ出ようと思っていたわけではなく、たまたま最初に大学を出て、入った会社が東京の会社でした。映像の会社だとどうしても東京になるじゃないですか。そのままなんとなくいるっていうのもなんですが。元々出身は兵庫県で、同じようにできれば関西でもいいなと思うんですけど。

普段はコマーシャルなどの仕事をしていて、人が集まってやるとなるとどうしても東京が効率が良いのでなかなか離れられない。今はまだ楽しいこともあるけど、もうちょっと年をとったらしんどいかなという感じはします。その時に関西でもいいし、そうじゃなくても、仙台でもいいかもしれない。東京とそれ以外という感覚はちょっとあります。

—— 仙台にもクリエイティブな活動を志している人達がいますが、彼らが仙台で活動しなければならない理由はなくても良いとは思います。直で東京やロンドン行ったりしても良い。

高木 僕は京都でも、中心部からさらに田舎に住んでいるんですけど、10年くらいそこから名産品を届けるような感じです。そのほうが東京からの価値も作れるし。だから東京の人達が絶対に作らないものを作ったり、考え方を売ったりとかいうのをしている限り、別にどこの土地に住んでいても良いというか、むしろそちらの方が良い。

全体像はわからないけれど、東京も元々はそういうものの集まりじゃないですか。「東京から生まれてくるようなもの」を何だかんだ作り出して、もう一回地方に届けるようなことをやっているけど。コンサートでも、来るお客さんの数の桁がひとつ違うので、東京でやるだけ。そのことを考えると、余計東京のことをやっても仕方がなくて、逆に東京の地域性を生かして地方で名産品を作って、持ち込んで、売って帰ってくる方が良い。それをやっている限り、別に仙台でもどこでもやっていけるんじゃないかなと僕は思うんです。


空気もふくめてその土地

Q.作品の中に特産品的な要素が知らず知らずのうちに入ってしまうものですか?

高木 あります、あります。音楽であれ映像あれ、住んでいる土地の、なんでしょうね…。
たとえば、果物を作るときには確実に土地から栄養を吸収するでしょう。あんな感じで、北海道のリンゴと沖縄のリンゴを渡された時に、説明をしなければどちらかが分からないのかもしれないし、かじったらすぐ分かるのかもしれないし、というような違いかもしれないけれど、確実に土地から吸い取ったものでできあがっている。その感覚だけちゃんと持っていたら間違わないと思う。世界で勝負するとか言って、東京やロンドンやニューヨークとか考え出すと、そこに行ってみてやったらいいじゃないか。住み続けてやるんだったら、その土地からひっぱり出せるもの全部吸収して、書き出すようなね。

—— そこの土地のものを吸い上げるというと、最近すごく気になる言葉があります。それは「地霊」。土地に染み付いたいろいろなもの。そういうものを知らず知らずのうちに吸っている。

高木 映像だとなかなか難しいんですけど、音楽だと確実にそういうところがあります。同じピアノをここで弾くのと、家に帰ってから弾くのでは違うですよね。きちんとその土地土地の空気に波みたいなものがあって、そこに音がなめらかにのるか、うまくのらずに音が落ちていたりとかいうのがあって。

昔はうまく出来ていたんですよ。日本の本州ではあんまり残ってないんですけど、北海道の「とんこり」とか、沖縄だと「三線」とか、ああいう楽器をその土地で弾くと音がすこーんと抜けていきます。そういう風に楽器が作られているし、だから、こちらに持ってきたところで、同じ音はするけれど音の抜け具合が違ったり。本来、土地と、響かすもの、住んでいる土地というと地面に限定されるイメージですが、空気などいろんなものをふくめてその土地なんです。それがコンビニみたいに全国均一化されていくと、意味がよく分からなくなってしまう。同じスピーカーで、同じ音楽が流れても、本来気持ち良くなるわけがない。

今回の映画とかコンサートでやりたかったのもそれです。一人ひとりが自分の今住んでいるところにちゃんと根を生やして、そこから吸い上げていった時にどこまでつながっているんだろうと。伸ばしていくと下の方でうまい具合につながるんですよ。たとえばインドやポリネシアとか、アフリカとつながってしまうけど、伸ばせるところまで伸ばして吸い上げていったら、実は外を見なくても、中から強烈に吸い上げられるものが沢山でてくるなあと。日本の音楽、日本人の音楽をそろそろやろうよっていうのが漠然とあって。
友久さんへのお願いも最初はコンサートのDVDをただ単に撮ってくれという依頼だったのが、何を血迷ったのか、会ったときに「好きに撮ってほしい」と言ってしまって、そこからあんまり話してないです。

友久 どういうものを作ればいいっていうのはまったく話していなくて、僕も説明してないですし、最初に会って「好きなように作ってくれればいい」と言われた後は、もう完全に共同で作る関係ではなく、撮る側、撮られる側として距離は保とうと。


ゴールがないまま闇雲に、でも丁寧に

Q.映画をつくる上で相談したことは?

高木 演奏する人とか、舞台の照明とか、いわゆるコンサートのまわりに関わる人には、きちんと分かってもらえるように話したり、音でちゃんと伝えたりしたけれど、映像に関しては常に部外者と思ってやってもらっていました。異星人のように外からの視線が常にあって。でも編集が全部終わって1本の映画になったのを観たとき、この人が一番コンサートのことを全部分かってやってるやんと思いました。

友久 僕の作業は、コンサートが終わったあとにも続いていて、コンサートの間は全然分からずにやっていた。だから客観的によく見れてやれていたとは全然思えない。その時感じた勘で撮っていて、あとでどうやって編集するんだろうとかまったく考えず、大丈夫かな、でもきっと正しいはずだと思いながらやっていました。

高木 映画のなかにある出来事は実は長くて1週間くらいの間のことなんです。それぐらいの短い期間にやったことを、音楽と映像の方で半年かかって整理したんですね。それの間にたくさん言葉も出てきて、一曲一曲したかったことを自分なりに言葉に置き換えられるようになって、なんとなく全体像が自分で客観的に見れた時に、昔から残っている祭のなかの行事の順番とほぼ一緒のやり方だったので、なんだこれはと思いました。

たぶん、監督もふくめて、関わった人が全員あまり自分の意思を入れなかったんですよ。自分の思う映画はこんなものやから、そう仕上げたいとか、僕の描く僕の音楽はこういうものだからそれに仕上げたいっていうのがまったくなかったんです。やっている最中に、こっちじゃなくてこっちよなあというくらいの一応選ぶ余裕はあるんやけども。ゴールがないまま闇雲に、でもこんなに丁寧に仕事ができることはあまりないかなと思いました。

友久 僕も目の前にあるものを、そのまま撮っただけ。コンサートにしてもリハーサルにしても、目の前のすでにあるものを撮っただけ。僕の目の前に準備されていたんですよ。それを間違ったやり方で撮ったら駄目だなと。そこはすごく素直に撮っていて、編集も同じ感じだったんです。きっとこれが正しいんだろう、みたいな。自分がこうやりたいっていうのは確かにすごく薄かった。

高木 最初の話に戻りますけど、きっと土地を震わすような感覚に近かったんですよね。音楽を最初に一人で作る段階も、最初に言ったように、できるだけ自分が住んでる土地がきちんと震えるようなものを。たとえば今、パンって手を鳴らすと、叩き方によっては、ここで終わる音と、うまく叩ければ部屋の壁がびりってなったりとか(手を叩きながら)、あとは歌える人が「はっ」て言った瞬間に、壁がびびってくるんですよ。その感覚をもっと広げて、土地全体でふわって一気に震えるような感覚になった時だけうまいこと曲が作れるんです。それをそのまま東京に持って行って、今度は東京でコンサートが始まる前に散歩したりとか、色んなものに触れたりとか、そういう作業を繰り返したりして、ちょっとずつその土地に響くようにやっていく。外というよりは大きなものに乗っかっていくような感じで、コンサートやるときもホール全体とか、東京全体とか、そういうものを震わすような感覚だけに持っていったらあんまり自分は関係なくなっていくんですよ。


メディアの再生でも、ライブであること

Q.作品が完成したと思う瞬間はどこにあるのでしょうか?

高木 締め切り。

友久 締め切り。たぶんそういう意味でいうと完成はしないというか。一応形は70分の映画になるんですけど、例えば昨日山形で上映があって、そこで流れている時もまた変わっている感じがするというか、その場所でそこのスクリーンで、そこにたまたまその日来ていた人達と一緒に見ている時の印象とか、ほんとに細かいことで変わっていく。

高木 昨日と今日でね。あまり映画ではないと思うんですけど、毎回上映で始まる前に、音のテストを1時間くらいかけてさせてもらっていて、それでやっている度に、ライブっていう感じがするね、見る席によっても全然違うし、会場にもよっても。ここで見るとこんな印象なんだとか。あの色気づかへんかったとか。そういう色んな要素があって。

Q.ライブなんですが、メディアになっていますね。純粋にライブで体験することと、メディアをライブのようにとらえて体験することの違いはありますか?

高木 やっぱり別物ではあると思います。朝日が昇ってくるのを写真でおさえても、絶対おさまらない何かがいっぱいあるじゃないですか。うまいこと現実のまま残すのは無理。僕だとステージの上にいて、ひとつのコンサートを生で体験したっていっても、一人ひとり絶対感覚が違うし。そもそも記憶がそれぞれ違う。

音そのものとか、場所そのものとかっていうのじゃない、空気感っていうとまた薄いな……最初に言っていた「地霊」、雨冠がついてるくらいだから、雨とか霧とかああいうものがふわっと出てくるようなもの。空気の中に出てきたようなものは、それを捕らえるというか、再生ボタンを押すともう一度出てくるような、そういう装置を作る感覚でやっています。

CDなどを作るとき、今までだったら、いかに整えて「提出したかったものはこれです」と渡していたんですけど、今回半年もかかってしまったのは、ものを出そうとすると失敗するんですよ。なにか違うって。さっき言ったみたいに一人ひとり記憶が違うので、僕の思ったこれを「これ」と見せても違う。日によって僕も違うと思うし。

唯一できたのは、なんかふわっと出てくる、その場で感じていた何か霊的なものでもないですが、何か特別な、特別なとしか言えないものを、再生ボタンを押したら出てくるようなものにしたかったんですね。それをやるために一個一個の音の配置とか、音量の調節とか、こと細かくやっていった。音楽的には普段の聴き方だとちょっと変な音の配置だったり音量だったりとかしても、これが出るのを最優先させてやって行くと、あういう音になったりして。編集途中に何回か見せてもらったんですけど、途中まではそういうのがなかったんです。ただの記録という感じだったのが、完成したものを見せてもらった時に、ほんとに1フレーム、ちょっとしたシーンが早く切れたりとか、長くなったりとかの差だったと思うんですけど、何かが変わって「あれ?!映画になったよ」というか、ふわっと、あの時に感じるのが出てきたと思って、そのときに完成したと思いましたね。


ものを作るときに最初にしなければならないこと

Q.作品を発表するときにどんなことを考えているのでしょうか?

高木 薬みたいなものを本当は作りたい。これを見ると頭痛治ったり、肩こりが治ったりするとか、そういう魔法をかけたいだけなんですよ。それができたら、逆算で作品ができるんですよ。そういうところから引っ張っていって、赤じゃなくて黄色やなとかで作品ができるのが一番良い。

あとは、この音がひとつあるだけで違うというか、その時その場所にあった音づくり。たとえば、有線放送がずっとかかっているそば屋があるでしょ。本当はいくらでも可能性があるのに、一方向の音が流れているじゃないですか。むしろ、この音一個で、そばの味が良くなるような、そういう音が流れている世の中に住みたい。アロマオイルみたいな感じで色んな種類の音があって、場所によって音が違うというのを本当は望んでいます。たとえば、モーター音ひとつとっても、うまく仙台の空気に響くような音だったりとか。

均一化ということにうんざりしている人は多いし、こういう地域性、あるいは、地域の中のまた細かい地域性が見えたりして良いと思う。とりあえず、自分の地元のそば屋に行って、そばが美味しくなる音を一年間研究させてもらいたいくらい。

友久 高木さんがいう薬みたいなものと近いと思うのですが、考えたり感じたりするきっかけになるものが世の中に増えていけばいいなあと思っていています。僕もいろいろなものから受け取って感じて、大げさに言えばそれを頼りに今まで生きてこれたところがあるので、そういうものが世の中に増えていけばみんなで幸せになれるんじゃないかと。

高木 小学校のころとかみんな楽しかったもんね。もちろん苦しんだ子もいるだろうけど。あのままでいいやんって思うだな。

友久 たしかにどんどん平均化されていったりしてしまう。

高木 ものを作る時に一番最初にしないといけないのは、うえつけられた先入観を排除することです。一番自由になった時の感覚でしか出てこないから。今まで習ったことを忘れていくところからはじまる。なんでこんなに長い間、学校やら何やらで学んできたんだろうという。人のそういう部分を破壊するようなことをやってみたい。それは逆にいうと薬みたいなことなんですけどね。


それが人のためになれば仕事になる

Q.どのように考えながら映像と音楽を両方手がけるのでしょうか。

高木 音楽も映像も編集するでしょ? それはいわゆるデザインというか配置の問題でもある。部屋があって、どこに家具を置くか、どこに仕事机を置くか、自分がほんとに気に入る場所を、映像を編集している感覚で配置していくとあるんですよ。「あぁここだとほんとにアイディア湧いてくるわ」という配置とか「なんか、ここは絶対眠たくなる」という配置とか。普段、社会とつながるところで、たまたま音楽と映像がつながれてるから、そこだけを見て仕事というけれど、一歩家の中というか、ルールにのらないところに戻ってくると、自分の中では朝起きてから寝るまで全部が本当は仕事なんです。

それが人のためになれば仕事になるという意味では、もっとたくさんの仕事をしたいんです。今の世の中は、音楽家です、ピアノを弾きます、映像をつくります、という肩書きがまず最初にある。でも、そうじゃないよなぁと思って。ピアノ弾くから、ピアノ弾きになるし、音楽つくるから音楽家になる。だから、明日から音楽作れなくなったら、もう、それはそれでいいやん、という感じなんです。だから、僕の中では特に意識して分けているわけではなく、絵を描きたいって思ったら、映像をやる。絵を描いていると、映像になってしまうんです。ちょっとここに赤をのせたけど、ここが青のやつも見てみたいなと思って描いていくと、それがいっぱい貯まって動いちゃったというくり返し。

友久 高木さんほど柔軟ではないですが、僕も変わらないですね。本当にたまたま考えるときに映像を使うとやりやすいからやっているんだな。高木さんがCDのミックス作業をやっているので、映像のミックスもやってもらっていたんですけど、音のミックス作業と僕が映画の編集をやってたことが、もうほとんど一緒でしたよね? 高木さんが一度ちょっと先行していたんですよ。僕が悩んでるのを見て「このあと、また一周回って、こうなって、こうなるときがくると思います」って。やっていることは音と映像編集で違うんですけど、完全に一緒の部分もある。これとこれがすごくいいなと思っていて、つないだら急にダメになったり。ぜんぜんダメだと思っていたところが編集でつないでみたら急によくなったりとか。そういうことが音も一緒なんですよね。

高木 最近本当に良い言葉だなと思えたのが「人間」。「人」に「間」って書くでしょ。人を表すのだったら「人」だけでいいのに。なぜ、わざわざ「人」に「間」という文字をつけて「人間」と名付けたんだろうと思うと、なんかすごい。自分と何かの、ものでも自然でもなんでもいいけど、間があって、それも含めて人間なんだっていうこの言葉で、すべての説明ができていると思いました。この「人」のところだけのものを今まで見たり聞いたり作品にしていたんだけれど、自分が本当に良いなと思うものは「間」もふくめてなんです。映画なんて特にそう。良い映画を見てしまった時というのは、絵そのものや音そのものだけに感動しているわけではなくて、自分と映画の「間」にあるものもふめて感動している。だから、他の人が見れば、この「間」は違うから別の映画になるし、自分だって変わっていくこともあるから、次見たときは「間」が変わる。そこを、気にするかしないかで随分違う気がします。

お祭りや神話を勉強していくうちに、昔の人は素直にそれをずっとやってこられていたことに気がついた。音楽でも芸術でも、人がやるものが「人」という小さい単位ではなく「人間」というちょっとふわんとした感覚になるために、自分の中から出てくるものを使って「間」を作るという作業を、踊ったり歌ったり、絵を描いたり、自分もはみ出すようなことをやっている。そう思うと、やれることまだまだたくさんある気がします。


土から味を引き出すように

Q.どのように考えながら映像と音楽を両方手がけるのでしょうか。

まだ映画を制作中のころだったと思う。岩手県立美術館で「タイ・レイ・タイ・リオ」ライブがあるというので、仕事を定時に終えて新幹線に飛び乗り、こうこうと雪が降る駅前からタクシーに乗って会場へ駆けつけた。演奏のあと、楽屋で話をしているときに、どうなるかわからないけれど、でも、おもしろい映画になるはずだ、というようなことを言われたと思う。その柔らかい光のような笑顔が印象に残っている。私は残念ながら今回のインタビューに同席できなかったのだが(インタビューは柿崎が担当)、収録素材を編集しながら、その表情の源泉が少し見えたような気がした。

機材なしには表現し得ない表現を生み出している二人の会話が、テクノロジーよりも場所や人の間にある「気」のようなものについて繰り広げられたのは興味深い。まるで農業に携わっているような、天候や土の様子を見ながら仕事をしているような感覚がある。あるいは表現活動というより「ものづくり」という単語を想起させる。地場のもの、手作りのものとしての表現。これをアートと呼んでしまうのはいささか気が引ける(もちろん、アートの定義によりけりだとは思うが)。自分の内面を表現したものというより、自分をとりまく世界からなにかを引き出していくこと、あるいは、相手に「伝える」というより、相手に「伝わる」何かを差し出しているような、謙虚さを感じるのだ。しかし同時に、そういう姿勢のとりかたに確信を抱いてもいる。

その一端が「それが人のためになれば仕事になる」という高木さんの言葉である。これは仕事に対する非常に基本的な姿勢を表していると思う。昨今の時世に限らず、私たちは仕事というものの意味を問い直さなければならない場面が多々ある。しかし、日々の仕事をそのようにとらえられたら、私たちはある種の謙虚さと自信を得ることができるのではないだろうか。

小川直人