cultivaiton 01-02を終えて

2010年 07月 1日   /   interview
interview 025

知己を得る修練の場として

2010年、私たちlogueは新たな取り組みとして、さまざまなクリエイションに携わる、あるいはそうした仕事を志望する方を対象にした集中技術習得プログラム「cultivation」を開催した。「養成」「洗練」「知己・交際を求めること」を意味するcultivationに込めた狙いが、まずはどれだけ実現されたか。そしてこれからの展開をどう考えるべきか。この分野のワークショップの先駆けである「media farm」を主催するDance and Media Japanの飯名尚人氏と共にディスカッションを行った。

協力:
TRUNK|Creative Office Sharing
http://www.trunk-cos.com/

飯名尚人

演出家、映像作家、プロデューサー。ダンスとデジタルテクノロジーの融合をテーマに、2002年にDance and Media Japanを設立。〈メディア・パフォーマンス〉のジャンルでワークショップ、レクチャー、パフォーマンスを行っている。ベルリン拠点のメディアパフォーマンスユニット「ポストシアター」、オハッド・ナハリン(バットシェバ舞踊団芸術監督)のメソッド〈ガガ〉を日本で広める「GAGA Japan」のほか、「マムシュカ東京」「国際ダンス映像祭」など多数の企画を手がける。「DANCE×MUSIC!」(JCDN)では、映像作家、演出家として参加。東京造形大学、名古屋学芸大学非常勤講師。座・高円寺「劇場創造アカデミー」講師。

Dance and Media Japan
http://www.dance-media.com/

marga | performative performance group
http://www.performative-performance.com/


cultivationの振り返り

logue cultivationと題したワークショップを今回はじめたのは、クリエイター向けにスペックの高い勉強の場を仙台に作れないかという実験で、産業センターや首都圏へ行って何かの講座を受けるということではなく、関心がある人が何人か集まれば、自分たちでそうしたことを習得するモデルが作れるのではないかという仮説に基づいています。ちなみに、仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアムの支援を受けています。

1回目は「Max/MSPの会得」というテーマで行い、8名の申し込み、当日は急きょ参加できない方がいて7名で開催しました。場所はTRUNK、講師は筒井真佐人さん。2回目は久世祥三さんを講師に迎え、Max/MSPにArduinoを加えて工作的なことも行いました。こちらは8名が参加しまして、半数が1回目にも参加された方です。どちらも定員は10名。チラシ等は特に作らず、logueのサイトとメール、twitterだけの告知でそれだけの方にお集まりいただけました。参加者の内訳としては、半分が県外の方。僕らの予測としても、こういうことに関心を持つ人たちはあまり地域的なものには影響されないだろうという見込みはあり、遠くからいらっしゃる方がいることも想定はしていましたが、思ったよりも多かったという印象です。それ以上に問い合わせは各地からあり、日程が合わずに断念した方もいらっしゃいました。

参加者のアンケート回答では、おおむね好評でした。その場で書いてもらったので関係者がいる前で悪いことは書けないということはあるでしょうが(笑)。レベルには各々違いがあるかとは思いますが、それぞれの人がそれぞれの到達、達成をしたという気持ちで帰っていただいたようです。

土日の2日間で受講料1万5千円(+材料費5千円)というフレームについても、受講者の方にとってはちょうど受けやすい日程のようで、金額もそれほど高くはないという印象だったようです。仙台でこういうタイプの講座がなかなかなかったので受けてくださったという方が多いようです。

飯名 ビデオでWS(ワークショップ)の様子を見せてもらいましたが、今回の内容はDMJ(Dance and Media Japan)がmedia farmでずっとやってきた内容になっていると思います。そもそも僕と筒井くんがmedia farmを始めたのは、Maxというソフトウェアを教えている民間の組織が一切なかったからです。その後でわかりやすい解説本が出てきたりもしたんですが、あの手のソフトは解説本があっても入口がわかりにいくいので、こうしたワークショップの需要はまだまだあると思います。

検討すべきことは今後、どういう風に講師を選んでいくのか、MaxやArduinoなどメディアアート系のものでWSを続けていくのか。入口を提供していくワークショップをするのか、ある程度ソフトを使える人を集めてプロフェッショナルにしていくワークショップにするべきなのか、それともさらに別の入口を増やしていくワークショップにするべきなのか、ということを考えていく必要があります。時期的な問題もあるとは思いますが、これから仙台で継続していくとしたらどっちなんだろうというのは、見定めないといけません。


media farmの経験から

飯名 こうした専門的なワークショップを繰り返しやっていくと、レベルは上がっていくんですが意外に開かれない。毎回同じ人が来て、初心者が入って来たときに調和が取れなくて、つまらない思いをしてしまうんです。その辺のWSのデザインをどうしていくかですが、僕らが東京でやっているものは2つに分けて開催しています。例えば「ワードやエクセルが使えれば誰でも参加できますよ」というふうにして、2日間でMaxの入口だけを一通り教えて、あとは自分たちで勉強してくださいというところで手放す。もう一つはMaxをすでにいじっている人、購入している人に、具体的に何をどうしていくかを教えるワークショップ。今回のcultivationはその両方の要素が入っていたと思います。僕らも最初は混ぜ混ぜでやって、参加者の顔色を見ながら変えていったところがあるので、2回目、3回目でその辺を調整していくと枠組みが広がっていくように思います。

あとはリピーターの扱いについて。毎回同じ先生で同じ内容だと、もう次に行きたいという人が出てきます。この問題がけっこう難しくて、語学教育と一緒なんですが、初級者と上級者はたくさんいるんだけれども中級者を育てるノウハウがないという問題に当たるんです。初級はビジネスモデルとしてできつつありますし、上級者に対してはトップクラスの人を呼んできてその人のプログラミングを見せて、どんどん専門的なところに行けば、文脈がわかっているので勝手に何かを得て帰ってくれるんですね。でも中級というのはなかなか扱いが難しくて、その辺をどういうふうにフォローするか。具体的には、今回受けてくれた人たちが2回目に来てくれたときにどんなワークショップを提供すればいいかということ。「ああまた前回と同じか」でもいけませんし、突然上級向けの内容でも困るし、そこら辺を考えていかないといけませんね。

それからもう一つ大事なのは予算のことですが、その辺はどうでしたか。

logue 最初の計画では、ツアーのように最少催行人数を超えたら実施するという形でリスクを回避しようと考えていました。ただ、今回は助成をもらったのでその壁がだいぶ下がって収支が成り立ち、初めての開催ということで用意したいろいろな備品なども賄えました。今後スポンサードがなくなることを考えると、10人定員のものであれば最少催行人数を5人ぐらいに置けばやれそうだというのが実感です。

飯名 もともとDMJで始めたときは当時事務所の家賃が月14万ぐらいで、それを賄おうということで始めたんですが、月4回開催で参加費が4万円。参加者が4人だと全部で16万ぐらいになったんですね。そうしたら徐々に参加者が集まり始めて、事務所で開催するのが大変になって他で場所を借りて定員10人ぐらいに広げたという経緯があります。この手のソフトの講習できちんとしたビジネスモデルを作ろうとするのであれば、継続するために参加費などの収入をどうやって利益に変えていくかということを考えなければなりません。東京から仙台に講師を呼んで渡航費と滞在費を払って講師料も払うと、ほとんどお金が残りませんよね。だとすれば、cultivationというやり方に適した講師を育てる、とか、教え方を教えるということを内部的にやっていって、ビギナー向けのクラスは教え方がうまい人に任せていく。そして、その人に講師料を払うというやり方にしていけば、お金が少しずつ残っていきます。スタッフが最低5人と決めたら、それで黒字になる予算立てを考える必要があるということです。


今後の展開と注意すべきこと

飯名 ところで今回のワークショップは成功、つまり目標を達成できたんでしょうか。

logue クリエイター向けの高度な技術系ワークショップを自活、自立的に行うという目標としては達成できたと思います。仮に助成金がなかったとしてもギリギリ成り立ったくらいですし、例えば募集に関してもそれほど本格的にやっていたわけではなく、こうした企画に対する反応を見ながらできた。ある程度余裕をもってできたということで、目標をクリアしているだろうと思います。

また、東北ではクリエイターが点在していたり集まりにくかったりという状況があるので、似通った思想や興味対象がある人たちが集まって仲よくなれる場、技術も学べて関係も築けるような場を仙台につくりたいという思いもありました。実際には参加者の半分が県外の方でしたので仙台の中での交流とは言い難いかもしれませんが、今までなかったつながりができたという意味ではよかったと思います。2回目のワークショップ後、講師の久世さんがメーリングリストで参加者へのフォローや情報交換をしてくださっているので、持続してつながっているという状態もできました。その点でも目標は達成できたと思います。

ただ、やはりこれから先をどうしていくかが課題です。一つは、先ほど飯名さんがおっしゃったMax関連の講座を引き続き行って、初級/中級/上級というようにこのテーマを深めていく。もう一つは、全然違う中身にするということもあると思います。これまでは独学でやるかどこかへ行って勉強してくるしかなかったようなジャンルのものを、この器を使ってうまくできないだろうかという希望もあります。

飯名 Maxが面白いのはいろんなものに派生していく可能性があることで、Liveと合体したり、FlashやAfter Effects、Quartz composer、Processing、Arduino、そういうものをどんどんぶら下げていける。ですから、一つMaxを中心に置いておくことで、Flashに興味のある人がMaxを使って、よりインタラクティブなことをするとか、ちょっとした誘導にはなると思うんです。MaxはそもそもOSなので、もともとその上に何が乗っかってくるかという企画力の勝負だったわけですよね。ISADORAもそうですし、Supercolliderもそうだし、新しいものをヨーロッパのメーカーが開発してみたり、Maxという軸があることでいろいろと派生してきました。そういう展開がワークショップでも考えられます。

地方都市のアート関係のNPOがさまざまな企画を誘致していますが、参加者に継続性が生まれないことが多いんですね。ダンス、演劇、パソコン、音楽、なんだかんだとやっているといろいろ過ぎてしまいます。最初はそれがマーケティングとしては面白いんだけど、2年目、3年目になってくると続かないんです。企画の軸を決めてしまうとそれしかできないんじゃないかと恐れたり、行政からは幅広い世代の人が参加できて、いろんなジャンルの人が出入りすることをやってくださいというリクエストもあったりして、Maxだけをやりますという企画はなかなか通りづらい。ところが、例えばダンスで海外からダンサーを呼びたいんだけど、それだけでは助成金が出ないから子ども向けワークショップをやって、滞在型のレジデンスプログラムにして、その街をテーマにした作品を作ります、というようにやっていくとどんどん企画がふくらんでしまって、労力も予算も分散して首が回らなくなってしまうんです。企画の軸を決める勇気が必要です。


場の機能についての一つの提案

飯名 逆に、Maxだけでなくさまざまなものに展開していくということで言えば、結局Maxをやり始めるとそれだけではどうにもならなくて、アナログのターンテーブルやデジタルビデオカメラや、ほかのさまざまな機材やテクノロジーと組み合わせていかなければ作品はできていかないんです。誰かがMaxを10万円で買ったとしても、ターンテーブルを絡めて実験したいというときにTechnicsの12万のターンテーブルをまた買わないといけないということになる。ところがワークショップで中級ぐらいの人たちが集まると、「MIDI楽器を持っているよ」とか「ギターを持っているよ」とか、貸し合う環境が作れるわけですね。そうすると、試しにこれをつなげてみようという実験がしやすくなる。つまり、講師がソフトウェアを教えるというワークショップではなく、場の中にクリエイターが集まって情報交換をしたり必要な技術を協力し合う環境というのができていきます。

その場合の問題としては、誰が管理人になってその場をオーガナイズするのかということ。管理といってもその管理者が「Maxって何ですか?」というレベルでは困る。各ソフトのことを広く浅く知っている人が管理人として居て、常にその場がオープンになっていて、ある程度の機材がある。スピーカーとミキサーとプロジェクターとビデオカメラがあって、やりたい人が集まってくる。そういうサークルのようなものをオーガナイズしていけるんであれば、それは市や国の助成金を使ってやったほうがいいと思います。なぜなら、教える人がいないWSに対して、参加者は参加費1万5千円を払う気にはならないでしょう。そういうものは行政にサポートしてもらって、運営費、管理費、あるいは基本となる機材を提供してもらうという環境を作りながら回していく。全員で何か作品を作るわけではないのでWSの成果としては把握しづらいんだけれども、確実に情報を回していける環境は作れます。

本来は大学とかメディアセンターとか劇場というのは、いま言ったような機能を持っていていいと思うんだけど、なかなか持てない。何が問題かというと、管理する人がいない、と言うんですね。管理人を置かなければいけないというところで、そういったアイデアが止まってしまっているようなんです。だけど毎日でなくても、例えば毎月第1日曜はこの場所がオープンになっていて、管理する人がいて、機材もあるということになれば、次第に広まって定期的に通ってくれるようになる。そうすると、その中から講師やアシスタントになる人も生まれてくるでしょう。具体的にそういう場を作れるのであれば、ほかにはない事例なので、リサーチとしてもどうなるか非常に気になりますね。

それから参加者へのアフターケア、サービスも重要だと思います。一回参加してくれた人に対してメーリングリストやメールニュースで情報を定期的に出すこと。それが単にイベントの宣伝ではなく、こういうフェスティバルがありますよとか、海外コンペの情報とか、利害のない情報をどうやって参加者に出していくか。企画者が持っている情報をいかに無償で参加者に提供して、プロフェッショナルの世界に足を踏み入れてもらうか。けっこう手間がかかることですが、それをこまめにやっていくだけでも人は集まりつながっていきます。


意外と大事なお金のはなし

飯名 疑問としては、このワークショップをビジネスモデルにしていくとして、どのくらいの利益が欲しいのかということです。具体的にそれが誰に支払われて、どういうふうにストックしていくのか。東京で僕がやっているそれぞれの企画というのは、最大でも3人で動かさないと回らないんですね。講師2人、マネージャー1人ぐらいで企画を立てていかないと現金が残らない。今回のcultivationはスタッフが多かったと思うんですが、それは安心感はあってもビジネスモデルとして考えると大変だと思います。

誰がどういう役割でどういうコピーライトで何をしてと、それぞれどういう関わりでやっていくかということを決めることが重要です。劇団などでもよくあるんですが、人件費の話になると「あいつ何もしてないのに1万円もらった」みたいなことになりかねない(笑)。そこら辺の事務局の組織図がどういう形で成り立って、あるいは今後もmedia farmが関わっていけるのであれば、お互いどういう役割や金銭的な関係になるのかとか、そこら辺が明確にならないといけない。助成金でやる場合は黒字を出さなくていいので利害はないんですが、何らかの形でお金を残していこうとしたときには、プールしていくのか分配していくのか、それが何割ずつかというお金の仕組みを早めに考えたほうがいいと思います。

logue 第一段階としては、中世の大学のように、やりたいと思った人が集まってお金を集めて賄えるレベルです。そうは言っても誰かがペーパーを書かないといけないとか、場所を借りないといけないとか、さっき話に挙がった管理人の役割とかが出てくると思いますが、まずは実費が出ればいい。それがどの程度かというと、TRUNKに事務所を借りている関係で会場費はかからないので、事務所費分の余剰が出る仕組みがあればいい。あとは記録のスタッフにお金を払うなど、logueのボードメンバー以外に誰かが動くときに、ある程度のお金を出せるようにするというのが目標です。

実際のところ、ワークショップ単体の採算性と、それを運営するチームの採算とは完全にはシンクロしないと思っていて、もう少し収益力のあるイベントをするとか、ある組み合わせの中で教育プログラムがあるということだと思います。今のところ組織を運営するためのお金が必要になる形にはしていないので、まずは実費レベルをどうするかということになります。

飯名 年間の家賃をカバーできる企画をやっていけばいいんだったら、この手の1万5千円のワークショップのように、単価を下げなくてもよい内容であれば回っていくような気はしますが、外部から講師を呼ぶコストがかかってくるのは痛いですよね。ですから先ほども言ったように講師を育てるようにしていくか、あるいはlogueの中にいる人たちが講師になるような企画を打っていく、ということでもいいのかもしれません。

結局外部から呼んでくると、例えばどこかの大学から先生を呼んでくるとしても、大抵有名な先生は銀座のApple Storeとかでも同じようなWSをやっているわけですよね。それよりは、ここにいる人たちのリソースを使ってやったほうがコストもかからないし、参加者は逆に東京から敢えて来ようというきっかけになるかもしれない。もちろん東京から有名人を呼んできたほうがインパクトとしてはあると思うんですが、メディアアート、テクノロジーアートってそれほど広い世界じゃないんで、1年もやったらだいたい人脈も1周しちゃいます。今回の講師だった筒井くんはこの企画に適していたとは思いますが、継続して筒井くんや僕を東京から呼んでいたらコストがかかりますね。おっしゃっていたように最低5人で回していけるバランスシートが作れるのであれば、渡航費と滞在費に費やすよりは、ここに集まる人たちを育てて講師として立てていけるようなプログラムを組んでいったほうがいいような気がします。


the editor’s note:大人には、好きなように学ぶ自由がある

高度な技術系ワークショップをやってみようというアイデアは、しばらく前から私たちのなかであった。その根底にあったのはおおむねふたつのことだ。ひとつは、この都市におけるクリエイティブな仕事のあり方を考えるとき、「新しいこと、先端的なことはここ(仙台)では出会えない」という漠然とした意識を変えてみたいと思ったから。そして、特にネットやプログラミングの世界では新しい技術というのはごくわずかな人たちが牽引していて、関心コミュニティのつながりで案外世界中のすごい人と直にコンタクトできるようになっているからである。何人か共通の関心を持つ人を見つけられたら、先生のところに出かけていくより、先生を呼んだほうが効率が良い。

子どもは、社会から必要とされていることをまず学ばなければならない。学校に通うことは義務だし、そこでのカリキュラムは与えられたもので、テストによって自分の能力は相対化されてしまう。思い出してみよう。だから私たちの多くは勉強が嫌いで、はやく勉強せずに済むようになりたい(大人になりたい)と願っていたのではないだろうか。しかし、大人になっても学ばなければならないことは多い。トラウマというのは自分が望んでいない過去の習慣を反復させてしまうものだが、なぜか世の中のビジネス講座はまるで小学校や中学校の授業と変わらないモデルのものが多いような気がする。先生がいて、一定のコマに時間が区切られていて、先生が知っていることを一方的に生徒が教えてもらうという構造。高度な知は自分から離れたところにあるという幻想。

だが、大人になったのなら、もっと自由に学んでも良いはずではないだろうか。学びそのものが消費のひとつになっている現在、わかりやすい記号(シグナル)としての資格という成果や、前述のような学習習慣に縛られて安心できる教養が幅をきかせているかもしれないが、本当は、私たちは子ども時代に学び方自体を学んできたはずなのだ。

小川直人