logue » interview http://project-logue.jp Sun, 26 Apr 2015 13:12:45 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.1.40 coresspondence: 鈴木宏平 03 http://project-logue.jp/?p=363 http://project-logue.jp/?p=363#comments Mon, 09 Jan 2012 14:29:23 +0000 http://project-logue.jp/?p=363 To: 鈴木宏平

From: 小川直人

 

大晦日にこれを書いています。カレンダーには20日ごろにこの手紙を書くようリマインダーを設定しているのですが、遅れに遅れて大晦日の早朝。

前回の手紙に書いた子育てママ講座を皮切りに(みなさんの旦那さまとはだいぶ違うと思われたみたいで、やや浮いた感じでした)、怒濤の師走を過ごして気がつけば大晦日です。その間に、DOMMUNE FUKUSHIMA!の配信が2回、大学の講義が2回、logueでのトークが1回、そのほか人に会ったりしていてなにやら忙しかった。極めつけは、妻の仕事の都合で急遽クリスマス時期に東京。3日ほど都内で子どもの面倒を見ていて、ひさしぶりに人の多さに圧倒されました。六本木や表参道を歩いていると、今でもこんな嘘みたいなクリスマスなのかとあきれかえってしまいます。安易に批判してはいけないと思うけれど、特に今年の自分にはそう感じざるを得ない光景でした。
まあ、慣れない街でずっと子どもを抱っこして全身が痛かったからかもしれませんが……。お店やギャラリーでは興奮して騒ぐし、移動すると自分で歩くのをいやがって、抱っこされたまましまいには眠る、の繰り返しでした(苦笑)。結婚する前に立ち会いをしてくれた元上司から「結婚とは、ままならないことを経験するということです」と言われたのですが、それが本当かどうかはともかく、子どもを育てるというのはまさに「ままならないこと」の連続ですね。しかし、ままならないことがそれほど苦痛でもない(まったく平気かといえば嘘ですが)。なぜなら、結婚や子育てに限らず、生きていることの大半は「ままならない」ことばかりだと思うので。

さて、そちらは雪の季節になっていることでしょう。自然が豊かというのは楽しいことばかりではなく困ることもありそうですがどうですか?

こちらのほうが寝たい

 


To: 小川直人

From: 鈴木宏平

 

あけましておめでとうございます。仙台は例年の通り寒いですか? こちらは人生初の雪国生活でまだまだ慣れたとは言えない状況が続いています。先日は玄関から前の通りまでの雪かきをしましたが、刺すような寒さだったはずが気付けば汗をかく作業。村の大人たちは、

「雪にはしゃぐのは子ども達だけじゃあ」

と顔をしかめますが、案外僕も一緒に楽しんでいます。まだまだ新参者なのでしょう。さらさらと振る雪は一粒毎にきれいな結晶を形作っています。その話を聞いた息子は、飽きもせずしばらく自然の不思議に没頭していました。

こどもの適応力は強い

こどもの適応力は強い

 

小川さんも師走はお忙しかったようですね。そして極めつけのクリスマスシーズンに東京滞在とは。やはり人々は日常を欲しているのでしょうか。
独身時代、渋谷・六本木等を訪れたときは、この街は毎日が七夕祭りかとひとりごちたものですが、親になってみてやはり極力近寄らずにいました。親の好みとはいえ、よく近所の多摩川の土手を散歩したものです(息子の自転車の練習もそこでした)。
良くも悪くも街はとても刺激的な空間です。光も音も空気も、そこにいるだけで変化に富んだ情報が飛び込んできます。
村で過ごす初めてのクリスマスから年越しはとても静かな日々でした。その時期になれば当たり前に流れてくる嘘みたいなクリスマスのBGMも年末特売広告も目にしません。もっとも、我が家にテレビが無い環境だからなのですが。

写真を拝見して、私も思わず苦笑してしまいました。上の子のときはそうして電車に乗っていたなあと、思い出し笑いです。
こどもが生まれて一番の変化といえば、24時間が全て自分のものではなくなったことでした。上の子が完全ミルク育ちだったこともあり、夜泣きのたびにミルクを飲ませたことから始まり、保育ママ (資格をもった保育士さんが自宅でこどもを預かってくれる仕組みです)への送り迎えだ熱をだしたと常にこどもありきで時間をやりくりする生活となりました。まさに「ままならいない」を知りました。でも、それが親になるってことでしょうか。それにしても、知恵がつき自我の育ちつつある小学生の意思は、本当にままならないものです……親としても成長と反省が必要な時期なんですね。

さて、この村の話。
雪が積もった日は、辺り一面が白く覆われます。その世界はとても静かで、自分が吐く息の音すら雪に吸い込まれていくような静けさ。車さえ通らなければ、もしかしたら他に動物も人もいなくなってしまったと錯覚する時間。そんな朝は嬉しくなります。均一に積もる雪も、よくよく眺めていると動物たちの足跡があって楽しいものです。裏山から続く蹄の足跡は鹿。我が家の玄関に伸びた小さな足跡は狸か猫か。ちゃっかりフンの落とし物は迷惑ですが。

雪は音も無く降り積もる

雪は音も無く降り積もる

村での生活は車が必須なのですが、雪こそがその一番の障害にもなってしまいます。
つい先日、村の友人宅へ遊びにいった道すがら、軽自動車が側溝に脱輪した現場に遭遇したので、通りかかった数人の男たちで車を運び出す経験をしました。僕自身車の運転は褒められたものではないので雪国での教訓です。
それに自宅が谷間にあって朝日は遅く、日没が早いせいもあってか、毎日とても寒い日々が続いています。暖房の灯油もかなりの消費量。田舎にきて、余計に車と暖房で石油依存度が上がってしまっている矛盾は、これから改善しなければですね。

それに、以前まで続けていた家族の散歩も腰が重くなり、なかなか近所のおじいちゃんおばあちゃん達に会うことも減ってしまいました。お隣のおばあちゃんにも、
「ひなちゃん、さくちゃんに会えなくて寂しいけど、ここらは皆冬眠中だから仕方ないわぁ」
と言われています。それでも、外でこどもの声がするのが本当に嬉しいとも言ってくれています。僕が孫の世代になる地域なので、こどもたちは近所の皆さんのひ孫のように可愛がってもらえるのでしょう。春になったら少し大きくなったこどもたちとまた歩き回らなければですね。しかし、これから2月にかけてが寒さと雪の本番よと村人たちに脅されていますが……。

看板広告やイルミネーション等、人為的な変化の乏しい村の生活ですが、その分、土や空や動物たちの見せる違った表情を身近に感じます。このまわりの変化に目が向かなくなったとき、僕はこの村に住む意味(土のある生活を求めた)を失ってしまいます。そうなる前に、まだまだ村の生活でやりたいことがあるので、年が明けた今年から、本腰入れて暮らして行きたいと思います。

まずは明日、地区の役員決めの寄り合いがあるので、初めてこの知社地区の先輩全員集合の場で挨拶して来たいと思います。
※日本で2番目に多いはずの「鈴木」は、この村では我が家のみなのです!

ゴミを出すのはちょっとした散歩

ゴミを出すのはちょっとした散歩

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http://project-logue.jp/?feed=rss2&p=363 0
correspondence: 鈴木宏平 02 http://project-logue.jp/?p=301 http://project-logue.jp/?p=301#comments Wed, 07 Dec 2011 19:33:27 +0000 http://project-logue.jp/?p=301 To: 鈴木宏平

From: 小川直人

 

西粟倉村に家族そろっての生活が本格的にはじまって、少し落ち着きましたか?
ただいまlogue主催のワークショップ cultivation 04 の最中です。今回はArduinoを使ったサウンドデバイスをつくっていて、例によってマニアックな内容に6人の少数精鋭です。統計的な有意性はない数ですが意外にも半数が女性。さらには、子どもにおもちゃを自作して見せたいという方まで来て驚いています。僕も子どものおもちゃにmonotoronを買い与えたりしていますが、さすがにつくることまでには至らない。

ところで、来月、地域の子育てママの集まりに呼ばれることになりました。育児休暇に入ってからはじめて”イクメン”としての話です。当初はもっとそんなことがあるのではないかと予想していたのですが、震災の影響か、まったく今までそんなオファーはありませんでした(苦笑)。ちなみに、もうひとつ呼ばれそうなものがあったのですが、「あの人は特殊すぎてあまり参考にならないのではないか」ということで却下されたとのこと。個人的にはやや心外です。

鈴木さんも相当特殊な部類に思われるのではないかと思いますが、西粟倉村には同じように移住してきた人などいるのでしょうか? 上のお子さんの授業参観などに出たりしてみましたか?(背も高いから相当目立つのではないかと思います)。

 


To: 小川直人

From: 鈴木宏平

 

1 1月の後半に東京からレンタカーのトラックで西粟倉村へと引っ越して来ました。道中、季節はずれの台風の様な嵐を真正面に受けながらも、13時間かけて辿り着いた新居では天の川が広がる星空が運転手を務めた友人を労ってくれました。たった3ヶ月間の単身赴任でしたが、改めて家族は一緒にいた方がいいのだなと気付かされました。3ヶ月の間に、下の子は歩き始め、上の子は岡山弁に訛っている。僕はその過程を見逃してしまいました。子どもと密接な付き合いが出来るのを10歳までとすれば、あっという間にこどもは親から離れて行くのですね。今は未開封の段ボールを横目で見つつも、毎朝上の子を学校に送り出してから始まる日常の日々を送っています。

昼間、村の人から引っ越し祝いにと立派な藻屑蟹を頂く。その帰り道に車から呼び止められ、おすそわけに大根も頂く。それならばと晩飯はかに汁に決まる。村での生活はこうして思いがけない出来事の連続のようです。僕の身に起きた変化は、普段履きの靴がこれまでのスウェード地のデザートブーツから、底の厚いトレッキングシューズになりました。何気ないことですが、自分にとっては新鮮で分かりやすい、生活環境への無意識の対応なのでしょう。

電車は単線の一両編成

電車は単線の一両編成

さて、その後小川さんの“イクメン”としてのデビューはいかがでしたか? 気がつけばメディアでは“イクメン”という言葉が生まれ、社会的に認知されている様な伝え方がされていますが、実体験では平日の昼間から子どもを連れて散歩すると不思議な視線を感じたものです。偶然ですが先週上の子の授業参観があったので、早速一家で自転車を走らせ小学校へと行って来ました。1年生の教室に生徒と先生、父兄が集まっても20人程ですが、空間としての密度は丁度いいのかもしれません。40人学級で育った僕と、全校生徒60人の学校で学ぶ息子とでは、きっと違った感覚を身につけていくのでしょう。13年後、酒を酌み交わす息子の姿がますます楽しみになります。

そういえば授業も終わり校舎から外へ出ると、同じく下校時間となった子ども達がぞろぞろ校庭に集まって来ました。そのうち、やんちゃな男子達が何人も僕の隣に並び、背比べをして、
「でけー!!」
と決まり文句を残し去って行きました。まったく子どもは素直だ。今では西粟倉のガリバー気分を楽しんでいます。

今年も残すところ一月を切りました。西粟倉もそろそろ雪の季節が始まるとのことです。仙台とはまた違った寒さの冬になることでしょう。次の便りの際は、一面の雪景色を送りたいと思います。

早速歓迎会が開かれた

早速歓迎会が開かれた

 

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http://project-logue.jp/?feed=rss2&p=301 0
correspondence: 鈴木宏平 01 http://project-logue.jp/?p=240 http://project-logue.jp/?p=240#comments Sun, 06 Nov 2011 01:17:22 +0000 http://project-logue.jp/?p=240 To: 鈴木宏平

From: 小川直人

 

内祝に鈴木米を使わせてもらった我が家の娘は片言話すようになってきました。教えてもいないのに「イヤイヤイヤ」とも言う(苦笑)。3月11日の地震以後いろいろなことが変わりましたが、日々成長する子どもの姿は、それらの変化のなかでも生きていくひとつの支えのように思います。鈴木さんのお子さんはどうですか?

さて、本当だったら(という書き方も変ですが)いまごろ仙台で子育てやら仕事やらいろいろ話をしていただろう鈴木さんが、岡山でしばらく暮らすという選択をしたならば、その新たな選択と生活について聴いてみたいと思った次第です。地震のあと、いろいろ取材されることは増えたけれど、あれは一時のことでしょう。暮らしていくということはもっと長い時間のものだし、その土地が傷ついた僕らにとって、いま判断できることはそれほど多くはないのだから、なにか正しいのかはひとまず別にして、この新たに選択した生き方について1年くらいかけてやりとりしてみようと思うのです。

これから岡山に移住するとのことですが、どんな準備をしているのですか。そもそもどんな場所なんでしょう?(そもそも僕は岡山に行ったことがない)

 


To: 小川直人

From: 鈴木宏平

 

お子さんの内祝いに鈴木米を設えたのが、もう1年半前ですね。生まれたときの体重を記したパッケージでしたが、先日初めて娘さんにお会いしたときには、もう随分大きくなっていたので何だか嬉しくなってしまいました。僕の上の子(7歳)は二学期からの転校生として楽しく学校に通っているようです。下の子(1歳)もちょっと会わないうちに、ちょろちょろと歩き回っています。親(僕のこと)の身勝手な想いかもしれませんが、3.11以降子どもの存在には本当に救われているんだなと思う日々です。

我が家は8月から岡山県の西粟倉村という人口1500人の村で新たな生活を始めました。しかし、いまのところパートナーと二人の子どもと別れて僕だけ単身赴任生活3ヶ月目です。
「なぜ岡山なの?」
とよく聞かれることがありますが、実は縁もゆかりもなかった土地でこれまで僕も行ったことがありませんでした。きっかけは村に住むある女性のツイートで『シェアメイト募集』を見かけたことで、何度かメールとツイッターでやり取りをした後実際に家を見に行くことになりました。留守番をしていた僕に興奮したパートナーから、
「星がきれい!水がきれい!蛍が飛んでる!」
と電話がかかってきたのが決め手となり、そこからはあっという間に引っ越したというわけです(我ながら直感的な行動一家ですね)。

庭先 近くの水路で捕まえて来た沢ガニを見聞中の長男

庭先 近くの水路で捕まえて来た沢ガニを見聞中の長男

西粟倉村は岡山県の北東部、鳥取県と兵庫県の県境に位置する山間の村で、源流の村と言われるようにとても水のきれいな土地です。
小学校と中学校ひとつずつ、スーパーはなく道の駅と温泉が湧くいわゆる田舎な場所で、上の子(1年生)が通う小学校はクラスメイトが10人。転校の挨拶に伺ったときは教頭先生が、
「久しぶりに全校生徒60人の大台に乗った!」
と満面の笑みで仰ってました。
我が家がある地区では10年ぶりに子どもが“生まれた”ということで、散歩の道すがら近所のおじいちゃんおばあちゃんに声を掛けられ、とれたての野菜までいただいちゃうコミュニティの新参者として生活しています。

先日、単身生活に我慢できず一週間程西粟倉に滞在していましたが、庭では紫蘇・零余子(ということは自然薯)・梅・桃・花梨・柚子、柿、無花果、月桂樹が採れるので、この季節の私の役目は毎朝の柿と無花果の収穫でした。日毎ばらばらに熟れる実を採り、食後のおやつに皆で口のまわりを赤くしながらも無花果を頬張っていると、実家で当たり前の様に裏の畑から採れた野菜を食卓に並べていたことを少しはできたかなと感慨深くなります。

村で一軒のパン屋 フランス人の旦那さんがお茶を出してくれる。新しい生活、新しい出会い。

村で一軒のパン屋 フランス人の旦那さんがお茶を出してくれる。新しい生活、新しい出会い。

西粟倉へ行ったら、まず畑を拓こう。鹿に食べられない様に柵を建て、野菜が育つ様に土を手入れしよう。そう、土に触れよう。

東京での単身赴任生活は、その脱皮期間の様なものです。11月中には進行中のプロジェクトも一区切りし、お世話になった方々へ挨拶まわりをしています。自称『鈴木=デザイナー』としての東京の生活を経て、そろそろ『鈴木=デザインもする人』になりたいと思います。ひとまずは1年間、毎月のお便りを楽しみにお待ちしています。

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http://project-logue.jp/?feed=rss2&p=240 0
correspondence: 鈴木宏平(デザイナー) 00 http://project-logue.jp/?p=207 http://project-logue.jp/?p=207#comments Tue, 25 Oct 2011 14:36:56 +0000 http://project-logue.jp/?p=207 仙台出身のデザイナー・鈴木宏平さんは、東京で仕事をすると同時に農家である実家の米を販売をデザインする「鈴木米」プロジェクトなどを通じ、クリエイターとして仙台で働くことについてさまざまな取り組みをしてきました。家族を連れて拠点を仙台に移そうとした矢先に東日本大震災がおこり、実家の田んぼは津波にのまれ、その後は放射能の不安が彼の計画に影を落とします。そして、悩みながらも岡山へ移り農業の修行とデザインの仕事をすることに決めました。地震が、放射能がなかったら、いまごろ仙台で一緒に話しをしていただろう鈴木さんに、クリエイター/親/新しい生き方を実践している人として、しばらく話を聞き続けてみたいと思い、この往復書簡をはじめます。(毎月1回更新・全12回予定。聞き手:小川直人/logue)

プロフィール
鈴木宏平(すずきこうへい)
デザイナー。宮城県仙台市生まれ。ここちよく生活することを共通のテーマに媒体を問わない表現をおこなうユニット「nottuo」や、農家である実家の米を販売するとともにその暮らしを伝える「鈴木米」プロジェクトなどをおこなう。活動拠点を東京から仙台に移す予定だったが、この震災と放射能被害のため、現在は家族で岡山に移り住み、農業の勉強とデザインの仕事をしている。

nottuo http://nottuo.com/
鈴木米 http://suzukimai.com/

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http://project-logue.jp/?feed=rss2&p=207 0
cultivaiton 01-02を終えて http://project-logue.jp/?p=172 http://project-logue.jp/?p=172#comments Thu, 01 Jul 2010 03:00:09 +0000 http://project-logue.jp/?p=172 cultivaiton 01-02を終えて 飯名尚人]]>

知己を得る修練の場として

2010年、私たちlogueは新たな取り組みとして、さまざまなクリエイションに携わる、あるいはそうした仕事を志望する方を対象にした集中技術習得プログラム「cultivation」を開催した。「養成」「洗練」「知己・交際を求めること」を意味するcultivationに込めた狙いが、まずはどれだけ実現されたか。そしてこれからの展開をどう考えるべきか。この分野のワークショップの先駆けである「media farm」を主催するDance and Media Japanの飯名尚人氏と共にディスカッションを行った。

協力:
TRUNK|Creative Office Sharing
http://www.trunk-cos.com/

飯名尚人

演出家、映像作家、プロデューサー。ダンスとデジタルテクノロジーの融合をテーマに、2002年にDance and Media Japanを設立。〈メディア・パフォーマンス〉のジャンルでワークショップ、レクチャー、パフォーマンスを行っている。ベルリン拠点のメディアパフォーマンスユニット「ポストシアター」、オハッド・ナハリン(バットシェバ舞踊団芸術監督)のメソッド〈ガガ〉を日本で広める「GAGA Japan」のほか、「マムシュカ東京」「国際ダンス映像祭」など多数の企画を手がける。「DANCE×MUSIC!」(JCDN)では、映像作家、演出家として参加。東京造形大学、名古屋学芸大学非常勤講師。座・高円寺「劇場創造アカデミー」講師。

Dance and Media Japan
http://www.dance-media.com/

marga | performative performance group
http://www.performative-performance.com/


cultivationの振り返り

logue cultivationと題したワークショップを今回はじめたのは、クリエイター向けにスペックの高い勉強の場を仙台に作れないかという実験で、産業センターや首都圏へ行って何かの講座を受けるということではなく、関心がある人が何人か集まれば、自分たちでそうしたことを習得するモデルが作れるのではないかという仮説に基づいています。ちなみに、仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアムの支援を受けています。

1回目は「Max/MSPの会得」というテーマで行い、8名の申し込み、当日は急きょ参加できない方がいて7名で開催しました。場所はTRUNK、講師は筒井真佐人さん。2回目は久世祥三さんを講師に迎え、Max/MSPにArduinoを加えて工作的なことも行いました。こちらは8名が参加しまして、半数が1回目にも参加された方です。どちらも定員は10名。チラシ等は特に作らず、logueのサイトとメール、twitterだけの告知でそれだけの方にお集まりいただけました。参加者の内訳としては、半分が県外の方。僕らの予測としても、こういうことに関心を持つ人たちはあまり地域的なものには影響されないだろうという見込みはあり、遠くからいらっしゃる方がいることも想定はしていましたが、思ったよりも多かったという印象です。それ以上に問い合わせは各地からあり、日程が合わずに断念した方もいらっしゃいました。

参加者のアンケート回答では、おおむね好評でした。その場で書いてもらったので関係者がいる前で悪いことは書けないということはあるでしょうが(笑)。レベルには各々違いがあるかとは思いますが、それぞれの人がそれぞれの到達、達成をしたという気持ちで帰っていただいたようです。

土日の2日間で受講料1万5千円(+材料費5千円)というフレームについても、受講者の方にとってはちょうど受けやすい日程のようで、金額もそれほど高くはないという印象だったようです。仙台でこういうタイプの講座がなかなかなかったので受けてくださったという方が多いようです。

飯名 ビデオでWS(ワークショップ)の様子を見せてもらいましたが、今回の内容はDMJ(Dance and Media Japan)がmedia farmでずっとやってきた内容になっていると思います。そもそも僕と筒井くんがmedia farmを始めたのは、Maxというソフトウェアを教えている民間の組織が一切なかったからです。その後でわかりやすい解説本が出てきたりもしたんですが、あの手のソフトは解説本があっても入口がわかりにいくいので、こうしたワークショップの需要はまだまだあると思います。

検討すべきことは今後、どういう風に講師を選んでいくのか、MaxやArduinoなどメディアアート系のものでWSを続けていくのか。入口を提供していくワークショップをするのか、ある程度ソフトを使える人を集めてプロフェッショナルにしていくワークショップにするべきなのか、それともさらに別の入口を増やしていくワークショップにするべきなのか、ということを考えていく必要があります。時期的な問題もあるとは思いますが、これから仙台で継続していくとしたらどっちなんだろうというのは、見定めないといけません。


media farmの経験から

飯名 こうした専門的なワークショップを繰り返しやっていくと、レベルは上がっていくんですが意外に開かれない。毎回同じ人が来て、初心者が入って来たときに調和が取れなくて、つまらない思いをしてしまうんです。その辺のWSのデザインをどうしていくかですが、僕らが東京でやっているものは2つに分けて開催しています。例えば「ワードやエクセルが使えれば誰でも参加できますよ」というふうにして、2日間でMaxの入口だけを一通り教えて、あとは自分たちで勉強してくださいというところで手放す。もう一つはMaxをすでにいじっている人、購入している人に、具体的に何をどうしていくかを教えるワークショップ。今回のcultivationはその両方の要素が入っていたと思います。僕らも最初は混ぜ混ぜでやって、参加者の顔色を見ながら変えていったところがあるので、2回目、3回目でその辺を調整していくと枠組みが広がっていくように思います。

あとはリピーターの扱いについて。毎回同じ先生で同じ内容だと、もう次に行きたいという人が出てきます。この問題がけっこう難しくて、語学教育と一緒なんですが、初級者と上級者はたくさんいるんだけれども中級者を育てるノウハウがないという問題に当たるんです。初級はビジネスモデルとしてできつつありますし、上級者に対してはトップクラスの人を呼んできてその人のプログラミングを見せて、どんどん専門的なところに行けば、文脈がわかっているので勝手に何かを得て帰ってくれるんですね。でも中級というのはなかなか扱いが難しくて、その辺をどういうふうにフォローするか。具体的には、今回受けてくれた人たちが2回目に来てくれたときにどんなワークショップを提供すればいいかということ。「ああまた前回と同じか」でもいけませんし、突然上級向けの内容でも困るし、そこら辺を考えていかないといけませんね。

それからもう一つ大事なのは予算のことですが、その辺はどうでしたか。

logue 最初の計画では、ツアーのように最少催行人数を超えたら実施するという形でリスクを回避しようと考えていました。ただ、今回は助成をもらったのでその壁がだいぶ下がって収支が成り立ち、初めての開催ということで用意したいろいろな備品なども賄えました。今後スポンサードがなくなることを考えると、10人定員のものであれば最少催行人数を5人ぐらいに置けばやれそうだというのが実感です。

飯名 もともとDMJで始めたときは当時事務所の家賃が月14万ぐらいで、それを賄おうということで始めたんですが、月4回開催で参加費が4万円。参加者が4人だと全部で16万ぐらいになったんですね。そうしたら徐々に参加者が集まり始めて、事務所で開催するのが大変になって他で場所を借りて定員10人ぐらいに広げたという経緯があります。この手のソフトの講習できちんとしたビジネスモデルを作ろうとするのであれば、継続するために参加費などの収入をどうやって利益に変えていくかということを考えなければなりません。東京から仙台に講師を呼んで渡航費と滞在費を払って講師料も払うと、ほとんどお金が残りませんよね。だとすれば、cultivationというやり方に適した講師を育てる、とか、教え方を教えるということを内部的にやっていって、ビギナー向けのクラスは教え方がうまい人に任せていく。そして、その人に講師料を払うというやり方にしていけば、お金が少しずつ残っていきます。スタッフが最低5人と決めたら、それで黒字になる予算立てを考える必要があるということです。


今後の展開と注意すべきこと

飯名 ところで今回のワークショップは成功、つまり目標を達成できたんでしょうか。

logue クリエイター向けの高度な技術系ワークショップを自活、自立的に行うという目標としては達成できたと思います。仮に助成金がなかったとしてもギリギリ成り立ったくらいですし、例えば募集に関してもそれほど本格的にやっていたわけではなく、こうした企画に対する反応を見ながらできた。ある程度余裕をもってできたということで、目標をクリアしているだろうと思います。

また、東北ではクリエイターが点在していたり集まりにくかったりという状況があるので、似通った思想や興味対象がある人たちが集まって仲よくなれる場、技術も学べて関係も築けるような場を仙台につくりたいという思いもありました。実際には参加者の半分が県外の方でしたので仙台の中での交流とは言い難いかもしれませんが、今までなかったつながりができたという意味ではよかったと思います。2回目のワークショップ後、講師の久世さんがメーリングリストで参加者へのフォローや情報交換をしてくださっているので、持続してつながっているという状態もできました。その点でも目標は達成できたと思います。

ただ、やはりこれから先をどうしていくかが課題です。一つは、先ほど飯名さんがおっしゃったMax関連の講座を引き続き行って、初級/中級/上級というようにこのテーマを深めていく。もう一つは、全然違う中身にするということもあると思います。これまでは独学でやるかどこかへ行って勉強してくるしかなかったようなジャンルのものを、この器を使ってうまくできないだろうかという希望もあります。

飯名 Maxが面白いのはいろんなものに派生していく可能性があることで、Liveと合体したり、FlashやAfter Effects、Quartz composer、Processing、Arduino、そういうものをどんどんぶら下げていける。ですから、一つMaxを中心に置いておくことで、Flashに興味のある人がMaxを使って、よりインタラクティブなことをするとか、ちょっとした誘導にはなると思うんです。MaxはそもそもOSなので、もともとその上に何が乗っかってくるかという企画力の勝負だったわけですよね。ISADORAもそうですし、Supercolliderもそうだし、新しいものをヨーロッパのメーカーが開発してみたり、Maxという軸があることでいろいろと派生してきました。そういう展開がワークショップでも考えられます。

地方都市のアート関係のNPOがさまざまな企画を誘致していますが、参加者に継続性が生まれないことが多いんですね。ダンス、演劇、パソコン、音楽、なんだかんだとやっているといろいろ過ぎてしまいます。最初はそれがマーケティングとしては面白いんだけど、2年目、3年目になってくると続かないんです。企画の軸を決めてしまうとそれしかできないんじゃないかと恐れたり、行政からは幅広い世代の人が参加できて、いろんなジャンルの人が出入りすることをやってくださいというリクエストもあったりして、Maxだけをやりますという企画はなかなか通りづらい。ところが、例えばダンスで海外からダンサーを呼びたいんだけど、それだけでは助成金が出ないから子ども向けワークショップをやって、滞在型のレジデンスプログラムにして、その街をテーマにした作品を作ります、というようにやっていくとどんどん企画がふくらんでしまって、労力も予算も分散して首が回らなくなってしまうんです。企画の軸を決める勇気が必要です。


場の機能についての一つの提案

飯名 逆に、Maxだけでなくさまざまなものに展開していくということで言えば、結局Maxをやり始めるとそれだけではどうにもならなくて、アナログのターンテーブルやデジタルビデオカメラや、ほかのさまざまな機材やテクノロジーと組み合わせていかなければ作品はできていかないんです。誰かがMaxを10万円で買ったとしても、ターンテーブルを絡めて実験したいというときにTechnicsの12万のターンテーブルをまた買わないといけないということになる。ところがワークショップで中級ぐらいの人たちが集まると、「MIDI楽器を持っているよ」とか「ギターを持っているよ」とか、貸し合う環境が作れるわけですね。そうすると、試しにこれをつなげてみようという実験がしやすくなる。つまり、講師がソフトウェアを教えるというワークショップではなく、場の中にクリエイターが集まって情報交換をしたり必要な技術を協力し合う環境というのができていきます。

その場合の問題としては、誰が管理人になってその場をオーガナイズするのかということ。管理といってもその管理者が「Maxって何ですか?」というレベルでは困る。各ソフトのことを広く浅く知っている人が管理人として居て、常にその場がオープンになっていて、ある程度の機材がある。スピーカーとミキサーとプロジェクターとビデオカメラがあって、やりたい人が集まってくる。そういうサークルのようなものをオーガナイズしていけるんであれば、それは市や国の助成金を使ってやったほうがいいと思います。なぜなら、教える人がいないWSに対して、参加者は参加費1万5千円を払う気にはならないでしょう。そういうものは行政にサポートしてもらって、運営費、管理費、あるいは基本となる機材を提供してもらうという環境を作りながら回していく。全員で何か作品を作るわけではないのでWSの成果としては把握しづらいんだけれども、確実に情報を回していける環境は作れます。

本来は大学とかメディアセンターとか劇場というのは、いま言ったような機能を持っていていいと思うんだけど、なかなか持てない。何が問題かというと、管理する人がいない、と言うんですね。管理人を置かなければいけないというところで、そういったアイデアが止まってしまっているようなんです。だけど毎日でなくても、例えば毎月第1日曜はこの場所がオープンになっていて、管理する人がいて、機材もあるということになれば、次第に広まって定期的に通ってくれるようになる。そうすると、その中から講師やアシスタントになる人も生まれてくるでしょう。具体的にそういう場を作れるのであれば、ほかにはない事例なので、リサーチとしてもどうなるか非常に気になりますね。

それから参加者へのアフターケア、サービスも重要だと思います。一回参加してくれた人に対してメーリングリストやメールニュースで情報を定期的に出すこと。それが単にイベントの宣伝ではなく、こういうフェスティバルがありますよとか、海外コンペの情報とか、利害のない情報をどうやって参加者に出していくか。企画者が持っている情報をいかに無償で参加者に提供して、プロフェッショナルの世界に足を踏み入れてもらうか。けっこう手間がかかることですが、それをこまめにやっていくだけでも人は集まりつながっていきます。


意外と大事なお金のはなし

飯名 疑問としては、このワークショップをビジネスモデルにしていくとして、どのくらいの利益が欲しいのかということです。具体的にそれが誰に支払われて、どういうふうにストックしていくのか。東京で僕がやっているそれぞれの企画というのは、最大でも3人で動かさないと回らないんですね。講師2人、マネージャー1人ぐらいで企画を立てていかないと現金が残らない。今回のcultivationはスタッフが多かったと思うんですが、それは安心感はあってもビジネスモデルとして考えると大変だと思います。

誰がどういう役割でどういうコピーライトで何をしてと、それぞれどういう関わりでやっていくかということを決めることが重要です。劇団などでもよくあるんですが、人件費の話になると「あいつ何もしてないのに1万円もらった」みたいなことになりかねない(笑)。そこら辺の事務局の組織図がどういう形で成り立って、あるいは今後もmedia farmが関わっていけるのであれば、お互いどういう役割や金銭的な関係になるのかとか、そこら辺が明確にならないといけない。助成金でやる場合は黒字を出さなくていいので利害はないんですが、何らかの形でお金を残していこうとしたときには、プールしていくのか分配していくのか、それが何割ずつかというお金の仕組みを早めに考えたほうがいいと思います。

logue 第一段階としては、中世の大学のように、やりたいと思った人が集まってお金を集めて賄えるレベルです。そうは言っても誰かがペーパーを書かないといけないとか、場所を借りないといけないとか、さっき話に挙がった管理人の役割とかが出てくると思いますが、まずは実費が出ればいい。それがどの程度かというと、TRUNKに事務所を借りている関係で会場費はかからないので、事務所費分の余剰が出る仕組みがあればいい。あとは記録のスタッフにお金を払うなど、logueのボードメンバー以外に誰かが動くときに、ある程度のお金を出せるようにするというのが目標です。

実際のところ、ワークショップ単体の採算性と、それを運営するチームの採算とは完全にはシンクロしないと思っていて、もう少し収益力のあるイベントをするとか、ある組み合わせの中で教育プログラムがあるということだと思います。今のところ組織を運営するためのお金が必要になる形にはしていないので、まずは実費レベルをどうするかということになります。

飯名 年間の家賃をカバーできる企画をやっていけばいいんだったら、この手の1万5千円のワークショップのように、単価を下げなくてもよい内容であれば回っていくような気はしますが、外部から講師を呼ぶコストがかかってくるのは痛いですよね。ですから先ほども言ったように講師を育てるようにしていくか、あるいはlogueの中にいる人たちが講師になるような企画を打っていく、ということでもいいのかもしれません。

結局外部から呼んでくると、例えばどこかの大学から先生を呼んでくるとしても、大抵有名な先生は銀座のApple Storeとかでも同じようなWSをやっているわけですよね。それよりは、ここにいる人たちのリソースを使ってやったほうがコストもかからないし、参加者は逆に東京から敢えて来ようというきっかけになるかもしれない。もちろん東京から有名人を呼んできたほうがインパクトとしてはあると思うんですが、メディアアート、テクノロジーアートってそれほど広い世界じゃないんで、1年もやったらだいたい人脈も1周しちゃいます。今回の講師だった筒井くんはこの企画に適していたとは思いますが、継続して筒井くんや僕を東京から呼んでいたらコストがかかりますね。おっしゃっていたように最低5人で回していけるバランスシートが作れるのであれば、渡航費と滞在費に費やすよりは、ここに集まる人たちを育てて講師として立てていけるようなプログラムを組んでいったほうがいいような気がします。


the editor’s note:大人には、好きなように学ぶ自由がある

高度な技術系ワークショップをやってみようというアイデアは、しばらく前から私たちのなかであった。その根底にあったのはおおむねふたつのことだ。ひとつは、この都市におけるクリエイティブな仕事のあり方を考えるとき、「新しいこと、先端的なことはここ(仙台)では出会えない」という漠然とした意識を変えてみたいと思ったから。そして、特にネットやプログラミングの世界では新しい技術というのはごくわずかな人たちが牽引していて、関心コミュニティのつながりで案外世界中のすごい人と直にコンタクトできるようになっているからである。何人か共通の関心を持つ人を見つけられたら、先生のところに出かけていくより、先生を呼んだほうが効率が良い。

子どもは、社会から必要とされていることをまず学ばなければならない。学校に通うことは義務だし、そこでのカリキュラムは与えられたもので、テストによって自分の能力は相対化されてしまう。思い出してみよう。だから私たちの多くは勉強が嫌いで、はやく勉強せずに済むようになりたい(大人になりたい)と願っていたのではないだろうか。しかし、大人になっても学ばなければならないことは多い。トラウマというのは自分が望んでいない過去の習慣を反復させてしまうものだが、なぜか世の中のビジネス講座はまるで小学校や中学校の授業と変わらないモデルのものが多いような気がする。先生がいて、一定のコマに時間が区切られていて、先生が知っていることを一方的に生徒が教えてもらうという構造。高度な知は自分から離れたところにあるという幻想。

だが、大人になったのなら、もっと自由に学んでも良いはずではないだろうか。学びそのものが消費のひとつになっている現在、わかりやすい記号(シグナル)としての資格という成果や、前述のような学習習慣に縛られて安心できる教養が幅をきかせているかもしれないが、本当は、私たちは子ども時代に学び方自体を学んできたはずなのだ。

小川直人

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人と人の間にあるものを感じて http://project-logue.jp/?p=186 http://project-logue.jp/?p=186#comments Tue, 01 Dec 2009 03:00:36 +0000 http://project-logue.jp/?p=186 人と人の間にあるものを感じて 高木正勝/友久陽志]]>

映像と音楽

映像と音楽、エンターテインメントとアートを軽々と越えて活動する高木正勝。2008年にプロジェクト「Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)」を発表した彼は、コンサート、CDと本、ウェブサイトに加えて、ドキュメンタリーフィルム『或る音楽』を映像ディレクター・友久陽志と作った。共同作業ともいえるこの映画の制作プロセスに触れつつ、二人のもの作りの根源について聞いた。

協力:
エピファニーワークス http://www.epiphanyworks.net/
フォーラム仙台 http://www.forum-movie.net/sendai/

高木正勝

1979年生まれ、京都在住。映像作家/音楽家。「Newsweek日本版(2009.7.8号)」で、「世界が尊敬する日本人100人」の一人に選ばれるなど、世界的な注目を集めるアーティスト。CDやDVDのリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサートなど、分野に限定されない多様な活動を展開している。オリジナル作品制作だけでなく、デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアーへの参加、UAやYUKIのミュージック・ビデオの演出、芸術人類学研究所や理化学研究所との共同制作など、コラボレーション作品も多数。

http://www.takagimasakatsu.com

友久陽志

1976年神戸市生まれ。映像ディレクター。神戸市外国語大学在学中に自主映画の制作を始め、北京電影学院に一年間留学。2000年「春天里」、2001年「夜はパラダイスへ行く」がぴあフィルムフェスティバルにて連続入選。現在は、CM(ベネッセコーポレーション、WILLCOM、NHK、マイクロソフト他)、ミュージックビデオなどを中心に映像ディレクターとして活動している。


名産品を届けるような感じ

Q.いまの活動拠点にいる理由は

高木 逆に人はどうやって住む土地を選ぶんでしょうね。僕は引越しをしたのが、大学を辞めて京都市内の方に移動した2年間だけだけなんです。あとは子供のころに家族ごと引越しした経験があるだけ。自分の意思で外に出たのがその2年だけなんですよ。それ以外はずっと育った家にいるので、逆に何が外に出る決め手になってるんだろうと。仕事があったり、あるいは家の契約とか。その輪に一歩入らなければ、逆に移動する理由が見つからない。たとえば、東京でもここ仙台でもそうですけど、1日以内で移動できるじゃないですか。だから、何かあった時に移動すればいいかと。

だいたいみんな東京に行くでしょ。東京に行って、また違うことがもちろん起こるけども、そこまでそれを求めているかなあと思う。東京駅に行くと「そうだ京都へ行こう」というキャンペーンをずっとやっています。 僕は東京に住んだことないから分かんないですが、 つまり、休暇の時に地方に行かれますよね。あとはちょっとした仕事があったりとか。だったら、休暇を逆にしてしまってもいいじゃないか。毎日休暇で、週に一度休むようなタイミングで、仕事をしても別に問題ないかなと。老後の楽しみを今味わっているような。

友久 僕は、仕事をはじめるタイミングで東京に出てきちゃったんです。特に東京へ出ようと思っていたわけではなく、たまたま最初に大学を出て、入った会社が東京の会社でした。映像の会社だとどうしても東京になるじゃないですか。そのままなんとなくいるっていうのもなんですが。元々出身は兵庫県で、同じようにできれば関西でもいいなと思うんですけど。

普段はコマーシャルなどの仕事をしていて、人が集まってやるとなるとどうしても東京が効率が良いのでなかなか離れられない。今はまだ楽しいこともあるけど、もうちょっと年をとったらしんどいかなという感じはします。その時に関西でもいいし、そうじゃなくても、仙台でもいいかもしれない。東京とそれ以外という感覚はちょっとあります。

—— 仙台にもクリエイティブな活動を志している人達がいますが、彼らが仙台で活動しなければならない理由はなくても良いとは思います。直で東京やロンドン行ったりしても良い。

高木 僕は京都でも、中心部からさらに田舎に住んでいるんですけど、10年くらいそこから名産品を届けるような感じです。そのほうが東京からの価値も作れるし。だから東京の人達が絶対に作らないものを作ったり、考え方を売ったりとかいうのをしている限り、別にどこの土地に住んでいても良いというか、むしろそちらの方が良い。

全体像はわからないけれど、東京も元々はそういうものの集まりじゃないですか。「東京から生まれてくるようなもの」を何だかんだ作り出して、もう一回地方に届けるようなことをやっているけど。コンサートでも、来るお客さんの数の桁がひとつ違うので、東京でやるだけ。そのことを考えると、余計東京のことをやっても仕方がなくて、逆に東京の地域性を生かして地方で名産品を作って、持ち込んで、売って帰ってくる方が良い。それをやっている限り、別に仙台でもどこでもやっていけるんじゃないかなと僕は思うんです。


空気もふくめてその土地

Q.作品の中に特産品的な要素が知らず知らずのうちに入ってしまうものですか?

高木 あります、あります。音楽であれ映像あれ、住んでいる土地の、なんでしょうね…。
たとえば、果物を作るときには確実に土地から栄養を吸収するでしょう。あんな感じで、北海道のリンゴと沖縄のリンゴを渡された時に、説明をしなければどちらかが分からないのかもしれないし、かじったらすぐ分かるのかもしれないし、というような違いかもしれないけれど、確実に土地から吸い取ったものでできあがっている。その感覚だけちゃんと持っていたら間違わないと思う。世界で勝負するとか言って、東京やロンドンやニューヨークとか考え出すと、そこに行ってみてやったらいいじゃないか。住み続けてやるんだったら、その土地からひっぱり出せるもの全部吸収して、書き出すようなね。

—— そこの土地のものを吸い上げるというと、最近すごく気になる言葉があります。それは「地霊」。土地に染み付いたいろいろなもの。そういうものを知らず知らずのうちに吸っている。

高木 映像だとなかなか難しいんですけど、音楽だと確実にそういうところがあります。同じピアノをここで弾くのと、家に帰ってから弾くのでは違うですよね。きちんとその土地土地の空気に波みたいなものがあって、そこに音がなめらかにのるか、うまくのらずに音が落ちていたりとかいうのがあって。

昔はうまく出来ていたんですよ。日本の本州ではあんまり残ってないんですけど、北海道の「とんこり」とか、沖縄だと「三線」とか、ああいう楽器をその土地で弾くと音がすこーんと抜けていきます。そういう風に楽器が作られているし、だから、こちらに持ってきたところで、同じ音はするけれど音の抜け具合が違ったり。本来、土地と、響かすもの、住んでいる土地というと地面に限定されるイメージですが、空気などいろんなものをふくめてその土地なんです。それがコンビニみたいに全国均一化されていくと、意味がよく分からなくなってしまう。同じスピーカーで、同じ音楽が流れても、本来気持ち良くなるわけがない。

今回の映画とかコンサートでやりたかったのもそれです。一人ひとりが自分の今住んでいるところにちゃんと根を生やして、そこから吸い上げていった時にどこまでつながっているんだろうと。伸ばしていくと下の方でうまい具合につながるんですよ。たとえばインドやポリネシアとか、アフリカとつながってしまうけど、伸ばせるところまで伸ばして吸い上げていったら、実は外を見なくても、中から強烈に吸い上げられるものが沢山でてくるなあと。日本の音楽、日本人の音楽をそろそろやろうよっていうのが漠然とあって。
友久さんへのお願いも最初はコンサートのDVDをただ単に撮ってくれという依頼だったのが、何を血迷ったのか、会ったときに「好きに撮ってほしい」と言ってしまって、そこからあんまり話してないです。

友久 どういうものを作ればいいっていうのはまったく話していなくて、僕も説明してないですし、最初に会って「好きなように作ってくれればいい」と言われた後は、もう完全に共同で作る関係ではなく、撮る側、撮られる側として距離は保とうと。


ゴールがないまま闇雲に、でも丁寧に

Q.映画をつくる上で相談したことは?

高木 演奏する人とか、舞台の照明とか、いわゆるコンサートのまわりに関わる人には、きちんと分かってもらえるように話したり、音でちゃんと伝えたりしたけれど、映像に関しては常に部外者と思ってやってもらっていました。異星人のように外からの視線が常にあって。でも編集が全部終わって1本の映画になったのを観たとき、この人が一番コンサートのことを全部分かってやってるやんと思いました。

友久 僕の作業は、コンサートが終わったあとにも続いていて、コンサートの間は全然分からずにやっていた。だから客観的によく見れてやれていたとは全然思えない。その時感じた勘で撮っていて、あとでどうやって編集するんだろうとかまったく考えず、大丈夫かな、でもきっと正しいはずだと思いながらやっていました。

高木 映画のなかにある出来事は実は長くて1週間くらいの間のことなんです。それぐらいの短い期間にやったことを、音楽と映像の方で半年かかって整理したんですね。それの間にたくさん言葉も出てきて、一曲一曲したかったことを自分なりに言葉に置き換えられるようになって、なんとなく全体像が自分で客観的に見れた時に、昔から残っている祭のなかの行事の順番とほぼ一緒のやり方だったので、なんだこれはと思いました。

たぶん、監督もふくめて、関わった人が全員あまり自分の意思を入れなかったんですよ。自分の思う映画はこんなものやから、そう仕上げたいとか、僕の描く僕の音楽はこういうものだからそれに仕上げたいっていうのがまったくなかったんです。やっている最中に、こっちじゃなくてこっちよなあというくらいの一応選ぶ余裕はあるんやけども。ゴールがないまま闇雲に、でもこんなに丁寧に仕事ができることはあまりないかなと思いました。

友久 僕も目の前にあるものを、そのまま撮っただけ。コンサートにしてもリハーサルにしても、目の前のすでにあるものを撮っただけ。僕の目の前に準備されていたんですよ。それを間違ったやり方で撮ったら駄目だなと。そこはすごく素直に撮っていて、編集も同じ感じだったんです。きっとこれが正しいんだろう、みたいな。自分がこうやりたいっていうのは確かにすごく薄かった。

高木 最初の話に戻りますけど、きっと土地を震わすような感覚に近かったんですよね。音楽を最初に一人で作る段階も、最初に言ったように、できるだけ自分が住んでる土地がきちんと震えるようなものを。たとえば今、パンって手を鳴らすと、叩き方によっては、ここで終わる音と、うまく叩ければ部屋の壁がびりってなったりとか(手を叩きながら)、あとは歌える人が「はっ」て言った瞬間に、壁がびびってくるんですよ。その感覚をもっと広げて、土地全体でふわって一気に震えるような感覚になった時だけうまいこと曲が作れるんです。それをそのまま東京に持って行って、今度は東京でコンサートが始まる前に散歩したりとか、色んなものに触れたりとか、そういう作業を繰り返したりして、ちょっとずつその土地に響くようにやっていく。外というよりは大きなものに乗っかっていくような感じで、コンサートやるときもホール全体とか、東京全体とか、そういうものを震わすような感覚だけに持っていったらあんまり自分は関係なくなっていくんですよ。


メディアの再生でも、ライブであること

Q.作品が完成したと思う瞬間はどこにあるのでしょうか?

高木 締め切り。

友久 締め切り。たぶんそういう意味でいうと完成はしないというか。一応形は70分の映画になるんですけど、例えば昨日山形で上映があって、そこで流れている時もまた変わっている感じがするというか、その場所でそこのスクリーンで、そこにたまたまその日来ていた人達と一緒に見ている時の印象とか、ほんとに細かいことで変わっていく。

高木 昨日と今日でね。あまり映画ではないと思うんですけど、毎回上映で始まる前に、音のテストを1時間くらいかけてさせてもらっていて、それでやっている度に、ライブっていう感じがするね、見る席によっても全然違うし、会場にもよっても。ここで見るとこんな印象なんだとか。あの色気づかへんかったとか。そういう色んな要素があって。

Q.ライブなんですが、メディアになっていますね。純粋にライブで体験することと、メディアをライブのようにとらえて体験することの違いはありますか?

高木 やっぱり別物ではあると思います。朝日が昇ってくるのを写真でおさえても、絶対おさまらない何かがいっぱいあるじゃないですか。うまいこと現実のまま残すのは無理。僕だとステージの上にいて、ひとつのコンサートを生で体験したっていっても、一人ひとり絶対感覚が違うし。そもそも記憶がそれぞれ違う。

音そのものとか、場所そのものとかっていうのじゃない、空気感っていうとまた薄いな……最初に言っていた「地霊」、雨冠がついてるくらいだから、雨とか霧とかああいうものがふわっと出てくるようなもの。空気の中に出てきたようなものは、それを捕らえるというか、再生ボタンを押すともう一度出てくるような、そういう装置を作る感覚でやっています。

CDなどを作るとき、今までだったら、いかに整えて「提出したかったものはこれです」と渡していたんですけど、今回半年もかかってしまったのは、ものを出そうとすると失敗するんですよ。なにか違うって。さっき言ったみたいに一人ひとり記憶が違うので、僕の思ったこれを「これ」と見せても違う。日によって僕も違うと思うし。

唯一できたのは、なんかふわっと出てくる、その場で感じていた何か霊的なものでもないですが、何か特別な、特別なとしか言えないものを、再生ボタンを押したら出てくるようなものにしたかったんですね。それをやるために一個一個の音の配置とか、音量の調節とか、こと細かくやっていった。音楽的には普段の聴き方だとちょっと変な音の配置だったり音量だったりとかしても、これが出るのを最優先させてやって行くと、あういう音になったりして。編集途中に何回か見せてもらったんですけど、途中まではそういうのがなかったんです。ただの記録という感じだったのが、完成したものを見せてもらった時に、ほんとに1フレーム、ちょっとしたシーンが早く切れたりとか、長くなったりとかの差だったと思うんですけど、何かが変わって「あれ?!映画になったよ」というか、ふわっと、あの時に感じるのが出てきたと思って、そのときに完成したと思いましたね。


ものを作るときに最初にしなければならないこと

Q.作品を発表するときにどんなことを考えているのでしょうか?

高木 薬みたいなものを本当は作りたい。これを見ると頭痛治ったり、肩こりが治ったりするとか、そういう魔法をかけたいだけなんですよ。それができたら、逆算で作品ができるんですよ。そういうところから引っ張っていって、赤じゃなくて黄色やなとかで作品ができるのが一番良い。

あとは、この音がひとつあるだけで違うというか、その時その場所にあった音づくり。たとえば、有線放送がずっとかかっているそば屋があるでしょ。本当はいくらでも可能性があるのに、一方向の音が流れているじゃないですか。むしろ、この音一個で、そばの味が良くなるような、そういう音が流れている世の中に住みたい。アロマオイルみたいな感じで色んな種類の音があって、場所によって音が違うというのを本当は望んでいます。たとえば、モーター音ひとつとっても、うまく仙台の空気に響くような音だったりとか。

均一化ということにうんざりしている人は多いし、こういう地域性、あるいは、地域の中のまた細かい地域性が見えたりして良いと思う。とりあえず、自分の地元のそば屋に行って、そばが美味しくなる音を一年間研究させてもらいたいくらい。

友久 高木さんがいう薬みたいなものと近いと思うのですが、考えたり感じたりするきっかけになるものが世の中に増えていけばいいなあと思っていています。僕もいろいろなものから受け取って感じて、大げさに言えばそれを頼りに今まで生きてこれたところがあるので、そういうものが世の中に増えていけばみんなで幸せになれるんじゃないかと。

高木 小学校のころとかみんな楽しかったもんね。もちろん苦しんだ子もいるだろうけど。あのままでいいやんって思うだな。

友久 たしかにどんどん平均化されていったりしてしまう。

高木 ものを作る時に一番最初にしないといけないのは、うえつけられた先入観を排除することです。一番自由になった時の感覚でしか出てこないから。今まで習ったことを忘れていくところからはじまる。なんでこんなに長い間、学校やら何やらで学んできたんだろうという。人のそういう部分を破壊するようなことをやってみたい。それは逆にいうと薬みたいなことなんですけどね。


それが人のためになれば仕事になる

Q.どのように考えながら映像と音楽を両方手がけるのでしょうか。

高木 音楽も映像も編集するでしょ? それはいわゆるデザインというか配置の問題でもある。部屋があって、どこに家具を置くか、どこに仕事机を置くか、自分がほんとに気に入る場所を、映像を編集している感覚で配置していくとあるんですよ。「あぁここだとほんとにアイディア湧いてくるわ」という配置とか「なんか、ここは絶対眠たくなる」という配置とか。普段、社会とつながるところで、たまたま音楽と映像がつながれてるから、そこだけを見て仕事というけれど、一歩家の中というか、ルールにのらないところに戻ってくると、自分の中では朝起きてから寝るまで全部が本当は仕事なんです。

それが人のためになれば仕事になるという意味では、もっとたくさんの仕事をしたいんです。今の世の中は、音楽家です、ピアノを弾きます、映像をつくります、という肩書きがまず最初にある。でも、そうじゃないよなぁと思って。ピアノ弾くから、ピアノ弾きになるし、音楽つくるから音楽家になる。だから、明日から音楽作れなくなったら、もう、それはそれでいいやん、という感じなんです。だから、僕の中では特に意識して分けているわけではなく、絵を描きたいって思ったら、映像をやる。絵を描いていると、映像になってしまうんです。ちょっとここに赤をのせたけど、ここが青のやつも見てみたいなと思って描いていくと、それがいっぱい貯まって動いちゃったというくり返し。

友久 高木さんほど柔軟ではないですが、僕も変わらないですね。本当にたまたま考えるときに映像を使うとやりやすいからやっているんだな。高木さんがCDのミックス作業をやっているので、映像のミックスもやってもらっていたんですけど、音のミックス作業と僕が映画の編集をやってたことが、もうほとんど一緒でしたよね? 高木さんが一度ちょっと先行していたんですよ。僕が悩んでるのを見て「このあと、また一周回って、こうなって、こうなるときがくると思います」って。やっていることは音と映像編集で違うんですけど、完全に一緒の部分もある。これとこれがすごくいいなと思っていて、つないだら急にダメになったり。ぜんぜんダメだと思っていたところが編集でつないでみたら急によくなったりとか。そういうことが音も一緒なんですよね。

高木 最近本当に良い言葉だなと思えたのが「人間」。「人」に「間」って書くでしょ。人を表すのだったら「人」だけでいいのに。なぜ、わざわざ「人」に「間」という文字をつけて「人間」と名付けたんだろうと思うと、なんかすごい。自分と何かの、ものでも自然でもなんでもいいけど、間があって、それも含めて人間なんだっていうこの言葉で、すべての説明ができていると思いました。この「人」のところだけのものを今まで見たり聞いたり作品にしていたんだけれど、自分が本当に良いなと思うものは「間」もふくめてなんです。映画なんて特にそう。良い映画を見てしまった時というのは、絵そのものや音そのものだけに感動しているわけではなくて、自分と映画の「間」にあるものもふめて感動している。だから、他の人が見れば、この「間」は違うから別の映画になるし、自分だって変わっていくこともあるから、次見たときは「間」が変わる。そこを、気にするかしないかで随分違う気がします。

お祭りや神話を勉強していくうちに、昔の人は素直にそれをずっとやってこられていたことに気がついた。音楽でも芸術でも、人がやるものが「人」という小さい単位ではなく「人間」というちょっとふわんとした感覚になるために、自分の中から出てくるものを使って「間」を作るという作業を、踊ったり歌ったり、絵を描いたり、自分もはみ出すようなことをやっている。そう思うと、やれることまだまだたくさんある気がします。


土から味を引き出すように

Q.どのように考えながら映像と音楽を両方手がけるのでしょうか。

まだ映画を制作中のころだったと思う。岩手県立美術館で「タイ・レイ・タイ・リオ」ライブがあるというので、仕事を定時に終えて新幹線に飛び乗り、こうこうと雪が降る駅前からタクシーに乗って会場へ駆けつけた。演奏のあと、楽屋で話をしているときに、どうなるかわからないけれど、でも、おもしろい映画になるはずだ、というようなことを言われたと思う。その柔らかい光のような笑顔が印象に残っている。私は残念ながら今回のインタビューに同席できなかったのだが(インタビューは柿崎が担当)、収録素材を編集しながら、その表情の源泉が少し見えたような気がした。

機材なしには表現し得ない表現を生み出している二人の会話が、テクノロジーよりも場所や人の間にある「気」のようなものについて繰り広げられたのは興味深い。まるで農業に携わっているような、天候や土の様子を見ながら仕事をしているような感覚がある。あるいは表現活動というより「ものづくり」という単語を想起させる。地場のもの、手作りのものとしての表現。これをアートと呼んでしまうのはいささか気が引ける(もちろん、アートの定義によりけりだとは思うが)。自分の内面を表現したものというより、自分をとりまく世界からなにかを引き出していくこと、あるいは、相手に「伝える」というより、相手に「伝わる」何かを差し出しているような、謙虚さを感じるのだ。しかし同時に、そういう姿勢のとりかたに確信を抱いてもいる。

その一端が「それが人のためになれば仕事になる」という高木さんの言葉である。これは仕事に対する非常に基本的な姿勢を表していると思う。昨今の時世に限らず、私たちは仕事というものの意味を問い直さなければならない場面が多々ある。しかし、日々の仕事をそのようにとらえられたら、私たちはある種の謙虚さと自信を得ることができるのではないだろうか。

小川直人

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