
「Tele-Flow」は、東日本大震災で耕作放棄された宮城県南三陸町に宮城大学が植樹活動を行った一本のウルシ樹の生体電位を、実木を3Dスキャン、3Dプリントしたオブジェに、ネットワークを介して移植した作品です。 マイクロモーターが実装された葉柄は、植樹地からの信号によってかすかに振動し、現地の鳥や虫の声をリアルタイムに聞くことができ、南三陸町の豊かな自然の息吹が伝わります。対談では、「Tele-Flow」を題材に、土岐さんが取り組む、漆に関する手仕事的な技術を最新のテクノロジーの成果も活用しながら異分野にも開放し、漆の文化的価値を次世代に継承してゆくプラットフォーム作りの話を中心に進みました。
なかでも、3Dプリンターなどの普及によって、誰でもデータと機材があれば同じ品質のものが作れるという風潮に対して、実際には、データや機材を取り扱う者の感覚や技量によって異なったものが出来上がることもあること、そして、そこには手仕事の職人的な技と同じように、データや機材というテクノロジーを使いこなす熟達した技が求められるという指摘は、ものづくりの本質に迫るテーマの一つとして興味深く思います。

また、「Tele-Flow」の制作にあたっては、土岐さんと酒井をはじめとした関係者のモチベーションが「全国大会を目指している部活」のようだったという話もありました。それぞれ専門性が異なる関係者が、お互いの専門性について、相手に託してよりよくする方法をみんなで考えて作るから楽しかったと。すべてが「そっか!そっか!」という感じで進んで、お互いにきちんと等価交換ができたことで、無軌道だけれども最終的にどうなるか不安はなかったと土岐さんは語ります。

現在、漆の国産の比率は1%で、99%を輸入に頼っている中国の漆価格の高騰、加えて、国内で従事する職人の高齢化や後継者不足などによる収量の減少など厳しい問題に直面しているとの報告もありました。100年後も漆の文化を存続させるために、土岐さんをはじめとした宮城大学のメンバーは、植樹活動や「Tele-Flow」のような漆をテーマにした作品制作とその公開を通して、漆に関心がない人々にも漆に思いを寄せてもらう活動を続けていくとのことです。

会場に展示された「Tele-Flow」が、南三陸の風を受けて葉を揺らしている姿を眺めていると、物質が情報化され情報が物質化されることで生まれた、独特の自然に関する情緒を感じます。ある意味、南三陸に植えられたウルシ樹の原木を直接眺めることとはまた異なったウルシ樹や漆への身近さを体験できる作品になっているように思います。(logue/柿崎慎也)
私自身も家族とともにこの展覧会を楽しませてもらったのですが、カフェや土産屋さん、役場まで、様々な場に作品が展示されており、普段はあまり足を伸ばさない町の方々を散策しながら作品を鑑賞するという、不思議な体験となったことが印象的でした。
実行委員会の方々のお話はとても自然で、楽しく、緩やかなものでした。自治体を巻き込みつつ町全体をギャラリー化してしまう、という一見高く思えるハードルを、「自らが楽しんでしまう」というエネルギーで軽々と突破しているかのように、会場には笑顔があふれていました。司会進行の小川(実行委員会にも参加したlogueメンバー)の言葉の端々からも、おそらく企画や運営自体は決して易しいものではなかっただろうと想像するのですが、楽しむことの強さをひしひしと感じました。
こうしたいわば「ふんわり」した実行委員会の方々が作り出した展覧会は、決して「ふんわり」では片付けられない、様々な試みが随所にちりばめられていました。そしてその試みにもっとも驚いたのが、自治体をはじめ地元の人間だったのではないかと思います。
その一つの代表例として、松島博物館の活用があげられます。今回の展覧会のメイン会場ともいえる松島博物館は、観光地のど真ん中にありながらも、これまで十数年の間、いわば放置されてきた施設。私をはじめ地元の人間としては、あまりお勧めできない場所であったのです。ネガティブな場を見事に活用し、場の新しい価値、もしくは本来持っていた価値を改めて認識させてしまう作品の力。展覧会の力、ひいてはアートの力というものをこの版画展は松島町という場に気付かせたのではないかと思います。
宮城県の松島町は、東北の中でも代表的な観光地の一つ。しかし震災以降「観光」のあり方は変化してきているのではないでしょうか。集約された消費型観光ではなく、場本来の価値をゆっくりと楽しむ観光へ。同地で2011年から開催されている「松島流灯会 海の盆」といった祭りでもこうした信念が掲げらている中、この池田修三版画展は、まさにそうした流れをひときわ強く感じさせるアートプロジェクトだったのではないかと思います。
]]>『ソローニュの森』は、写真としての魅力はもちろん、cozfish(祖父江慎+小川あずさ)による本のデザインも、また、医学専門の出版社から出た写真集であるということ自体にも興味を持っていました。どのようにしてこの作品が生まれ、どのように人々に受け止められているのか、病院内で発表した写真と映像を追体験しながら田村さんの話を聞くうちに見えてきたのは、作品が訴えかけてくる正常と異常の境界への問いかけだけではなく、こうした写真集が世に出され問われていく過程での専門領域やコミュニティという境界への問いかけです。


私たちのいう「コミュニティ」は自分自身がいる(見える)場か、もしくは、和訳できないまま与えられた単なる言葉である場合が多々あります。しかし、この日会場に集まった人たちの関心や専門がバラバラであったように、複数の異なるコミュニティが重なり合う点にこの写真集があった、あるいは、一冊の写真集が異なるコミュニティを引き寄せたように感じられました。
もしかしたら、写真集としては、アートと割り切ったり、医学と割り切ったりするほうが、強く遠くへ跳んだのかもしれません。しかし、異なるプロたちが組むことで単純な強度や飛距離だけにならないものを作り上げたことが、この試みの大きな魅力なのだろうとあらためて思いました。


インフォグラフィックスとは情報を適切に伝えるための見取り図のようなものです。見落としがちな情報にスポットあて、複雑な構造をひもとき、見る人の理解を促進させます。木村氏はこの分野のプロフェッショナル。日経新聞での連載をはじめとして様々な分野で活躍されています。
木村氏のレクチャーは、彼の出身地である女川を襲った巨大津波の話からはじまりました。数十年ごとに繰り返される津波の恐怖が、なぜ伝承として適切に伝わっていなかったのか。一体どうすればこの津波を後世に伝えられるのか。情報をしっかり伝えられていれば、もっと多くの命を助けられたのではないか。木村氏はこうした世代を超えた情報伝達に、ライフワークとして取り組み始めているとの事でした。
その後話は、インフォグラフィックス的思考法へと展開。情報を取捨選択し、多面的に捉えていく重要性を解説されました。特に印象的だったのが「もう一つの眼をもつ」というお話。木村氏は常に、自分以外の視点を意識されているとの事でした。例えば、電車で向かい側に座った人がどんな光景を見ているのか、部屋の天井の四隅から部屋を見たら何が見えるのか。そうした多数の視点を常に意識すれば、気づきにくいことや、新しい発見があるという事なのです。
実は木村氏とは当日の午前中、logueが講師を務める「せんだいスクール・オブ・デザイン」のリサーチとして、宮城野区文化センターの視察にも同行していただいたのですが、その際も他のメンバーとは異なる行動をとりながら、独自の視点で問題を発見されていたことを思い出したのでした。
今回は比較的デザイナーの方の参加が多かったようなのですが、いわゆるデザインに直接従事していない、地元松島の方々にも多数参加していただきました。質疑応答の際、行政機関に勤める方が情報伝達の難しさについて質問し、木村氏がアドバイスするという展開もあり、インフォグラフィックス的思考が、様々な分野で応用できる事を改めて感じ取ることができました。もし情報を俯瞰するための「多数の視点」を多くの人が獲得できるなら、社会が変わっていくのではないか、そんな予感を感じるlounge logueとなりました。
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講義録をもとに書かれた『はじめての編集』を、ビジュアル豊かに再構成・再圧縮したレクチャーは、本を読んできた方にとってはビビッドな復習になったでしょうし、未読で参加した方にとっては速読のごとく頭に注入された体験になったことでしょう。最初「こんなに本の内容を話したら、売れなくなるのではないだろうか?」とも思ったのですが、レクチャーが終わってみれば、情報の多さに脳が熱を持つような感覚で、落ち着いて本を読み返したくなったのでした。
そのことを菅付さんが意図していたかどうかはわかりません。もちろん本が売れるのは大事なはずですが、おそらく、それをねらってあの勢いで語り倒したのではないでしょう。あれは、言うならば「編集中毒」といえるものではないでしょうか。無限とも思われる編集の可能性に魅せられた人の、知識や技術、経験の先にあるものにふれようとする行為。だから、「はじめての」などという言葉に惑わされてはいけません。本の形に蒸着されているがために影をひそめていた、彼の中毒ぶりが会場に蔓延していたのでした。真に編集の力をつけることを目指すならば、その勢いに呑まれず問い返すのが次のステップなのかもしれません。



3回目となるlounge logueは、東北芸術工科大学美術館大学センター主任学芸員/東北復興支援機構ディレクターの宮本武典さんをむかえました。かねてから東北芸術工科大学での仕事については知っている方ですが、東日本大震災後に立ち上げた東北復興支援機構での「福興会議」や「スマイルエンジン山形」など、私たち自身が当事者でありながら全体を把握できない日々を過ごすなか、どうやってあれほどのプロジェクトを動かしているのか、そして、その現場から見えたものについて直接聴いてみたかったのです。

今回の参加者はアートプロジェクトに関わっている方や東北芸術工科大学の卒業生が多にも関わらず、プロジェクトの作品に対する批評についてほとんど触れない対話をしてしまいましたが、この9ヶ月のあいだ関わった地域や人々の話は、アートの領域にとどまらず「現場の知」として興味深いものでした。参加者からあがった質問に十分に答えてもらう時間がとれなかったのが心残りではあります。
この回を設ける前、logueメンバーでの打ち合わせで「宮本さんはどんな人?」とたずねられたとき、「情熱と、誠実さと、したたかさを持った人のように思う」と答えた記憶があります。したたかさ、という言葉はあまり快い意味ではとられないかもしれません。タフ、という方が良いような気もします。しかし、これまでとは違う日常、何をしてもなんらかの意味では他者を傷つけたり間違いとならざるを得ない日常で、従来通りの結果の穏当さや主張の正しさだけを求めて思考停止する組織やシステム(とそれに依拠した人々)との対比という点で、やはり宮本さんはしたたかさを備えた人物だと思いました。
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10月30日(日)、前回と同じくゼロベースを会場に2回目のlounge logueをおこないました。
この日おまねきしたのは、宮城県登米市にあるCafe GATI(ガティ)の柴田道文さん。2009年、10年と登米であった「農MUSIC 農LIFE」をしかけた人物でもあり、接骨院の3代目でもある柴田さんに、これまでの経緯や日々の仕事ぶり、今の状況などを詳しく聞きました。
そもそも今回およびしたのは『いま、地方で生きるということ』(西村佳哲/ミシマ社)に登場していたことがきっかけで、読後なにかものたりない気持ちがあり、西村さんに来てもらおうと相談したところ、むしろ本に出ている人に話をもっとしてもらうほうが良いのでは?というところからでした。あの本は結構売れているとも聞いていたので、おそらく同じように感じた人が参加してくれるだろうと思い、告知にもそのことは書きましたが、意外にも集まった人にあの本を読んでいる人はほとんどなし。カフェや農業に興味があったり、地元が登米だったりした20名ほどでした。
柴田さんの話は、その語り口もあいまって非常に率直で、カフェを開業するときに銀行に資金を借りに行ったときのことや、地元の人の関わりの少なさへの悩みなど、きれいごとだけではすまない日常を知ることができ、また同時に、やはりそこに静かながらしっかりとした軸が通っていることにあらためて驚かされました。
そのひとつは、終了後に立ち話のなかで聞いたこと。今カフェの中心になっているスタッフがいなくなったら、閉めるかどうか考える。それがだめならコーヒーだけにしてしばらく考えながらどう続けるか考える。だって、彼らなしでは立ちゆかないし、違うものになってしまうだろうから、という話です。続けるということに対して、こう素直に考えるのはそうできない気がします。自営業か組織で仕事をしているかなどの違いはあるかもしれませんが、往々にして今やっていることを大事しようと思うほど、どうやって継続するかを先に考えがちではないでしょうか。柴田さんの語りは決して洒落た感じでも流ちょうでもなく(と言っては失礼ですが)、しかし、お洒落じゃないけれど格好良い、としか言いようのないストレートさがありました。

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lounge logue 第1回は、実は3月下旬に予定していました。それが東日本大震災によって中止せざるを得なくなったのですが、仕切り直しでもやりましょうと快く引き受けてくださり6月28日に。公開インタビューという形式ではじめる最初の回は、せんだいスクールオブデザイン・メディア軸の成果である雑誌『S-meme』1号について、編集長の五十嵐太郎さんほか制作に関わった方々をむかえてお話でした。
方々で評判の『S-meme』1号ですが、話を聞いてみればさまざまな挑戦と苦労の上にできあがった本でした。それだけに手放しで楽しめない一夜にもなったのですが、制作上や完成物のさまざまな課題はあるにせよ、「こういう本を仙台で作ることができる」という証明であること、それが『S-meme』1号のなによりも重要なことではないかと感じました。2号、3号と続いていくようなので楽しみです。
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